生徒の創造性を引き出す学習プログラムを設計する –N高におけるワークショップ型授業導入の背景【対談シリーズvol.6】

  • 和泉 裕之

    HR

  • 臼井隆志

    ファシリテーター/アートエデュケーター

  • 日本赤十字看護大学卒業。在学時より対話やワークショップに関心を持ち、看護師・保健師の国家資格取得後、フリーランスのファシリテーターとして独立。医療職対象の対話型ワークショップを病院や薬局などで多数実践後、株式会社ミミクリデザインの立ち上げに参画。コンサルティング事業部のマネージャーとして、少人数~数万人規模の組織開発・人材開発プロジェクトに従事。現在は株式会社MIMIGURIの組織人事として、社内放送局「MIMIGURI ch」の総合プロデューサーを担当。

  • 学生時代から現代美術家や劇作家らと協同し、幼児から中高生、大人までが関わるアートプロジェクトのプロデュース、ファシリテーションを担ってきた。その後、大企業の教育系新規事業開発と学びのためのファシリテーター人材育成を兼務し、のちにMIMIGURIに参画。MIMIGURIでは主に組織文化開発や人材育成の教材開発を担当している。

角川ドワンゴ学園は、WHO(世界保健機関)が提唱する「ライフスキル」やATC21sが提唱する「21世紀型スキル」を参考にしたオリジナル学習プログラムを開発・実践しています。2018年度には、経済産業省「未来の教室」実証事業で計100時間分のプログラムの効果を実証。これをもとに2019年度、N中等部通学コースに向けて50分単位の授業にカスタマイズし、2019年4月から実施。2020年4月からN高等学校通学コースとN中等部ネットコースにも導入されています。

目指したのは、不確実で予測困難な時代をより良く生きていくためのスキルが身につく学習プログラム。開発に参画したミミクリデザイン和泉裕之、臼井隆志と角川ドワンゴ学園の園利一郎さん、為野圭祐さんが、プロセスと成果を振り返りました(※本対談は2020年3月の緊急事態宣言以前に実施・収録されました)。

計100時間のトライアルワークショップでN高生に起きた変化

これからの時代を生きる中高生に必要なスキルを、どのように定義されていますか? 開発されたプログラムの内容とともにお聞かせください。

園利一郎さん(以下、園)角川ドワンゴ学園N高等学校およびN中等部では、WHOが提唱するライフスキルやATC21sが提唱する21世紀型スキルを参考に、「自己の内面を認識し、多様な他者と協同/協働しながら正解のない課題に取り組むスキル」と定義しています。今回の一連のプロジェクトでは、こうしたスキルの獲得を目的として、基礎的なスキルを身につけるトレーニングプログラムと、デザイン的思考やアート的思考を身につけるプロジェクト学習を開発しました。

和泉裕之(以下、和泉)基礎的なスキルのトレーニングプログラムは3種類です。自己認識や、感情や情動に対処のスキルを身につける「MINDNAUT」(マインドノート)、他者と協同・協働するスキルを身につける「Collaboratory」(コラボラトリー)、答えのない課題に取り組むための創造的思考や批判的思考などのスキルが身につく「Everythink」(エブリシンク)。これらを含む総合的な教育プログラムの土台を築いていきました。座学では得られないワークショップならではの学びを、N高に在籍する多様な生徒向けにどうデザインするかという部分で、ミミクリデザインの知見を提供させていただきました。

2018年度にトライアルとしてN高生を対象に計100時間のワークショップとプロジェクト学習を実施し、参加生徒の「自己認識」、「感情対処スキル」、「ストレス対処スキル」、「効果的コミュニケーション能力」、「対人関係スキル」についてのアセスメントでの変化や、「問題を設定し、解決する力」「ビジョンを生成し、アイデアにする力」の向上が確認できました*。

N中等部・N高校の生徒たちが、遊ぶようにスキルを身につけることができるプログラムの土台というか、足場はできたと考えています。

もともとは、どんなきっかけで、ミミクリデザインにお声がけいただいたのでしょうか?

N高校はネットを駆使したオンライン学習だけでなく、地方に滞在しながら職業体験やプロジェクト学習を行うスタディツアーなど、リアルでの体験学習にも開校当初から力を入れて取り組んでいます。僕も為野も、こうしたプログラムの運営として全国さまざまな地域で多様な高校生と関わり、多くの時間をともに過ごすなかで、多様な生徒の社会接続を後押しするためには中高生向けの能力開発プログラムが必要だと感じていました。

そうした背景もあり、認知行動療法やマインドフルネスストレス低減法、アンガーマネジメント、ソーシャルスキルトレーニング、オープンダイアローグなどを基盤にしたワークショップやプロジェクト学習をぼんやりと構想しはじめ、各領域の専門家をリサーチしてコンタクトしていたのですが、2017年の春頃、ひょんなことがきっかけで、当時から東京大学の特任助教としてワークショップや創造性の研究をされていた安斎勇樹さんのことを知りました。

為野圭祐さん(以下、為野)安斎さんが当時開催していたワークショップデザインの講座を2人で受講して、「これだ!」と。

「全部受けたら学習プログラムの開発に協力してくれるかもしれない」と考え、3回似たような講座に参加し続けました(笑)

為野その時着目していた認知行動療法やマインドフルネスストレス低減法、ソーシャルスキルトレーニングなどは、中高生向けに設計されているわけではなく、そのままのプログラムに導入することは難しいと感じていました。そうした中で安斎さんのワークショップデザイン論に触れたことで、前述のプログラム群を、高校生に合ったワークショップとして設計し直すことができれば、教室の中でもスキルを身につけるプログラムができるのではないかと思えたのです。

その時から安斎さんやミミクリデザインの皆さんにワークショップ・プログラムの設計をお手伝いいただきたいと思っていました。たしかその後すぐに五島市のプロジェクトでお仕事をお願いさせていただくことになり、それからすぐに能力開発プログラムについても相談させていただくことができました。

ロールプレイングゲームの枠組みや、アートの要素を取り入れたトレーニングプログラムの設計

基礎的なスキルの獲得を目的に設計したトレーニングプログラムについて、詳しく教えてください。

和泉例えば「Collaboratory」では、社会で必要とされる協働やコミュニケーションに関する社会技能について実験的に学び、身につけることを目的に設計しました。その際、ソーシャルスキルを中高生が遊戯的に発揮し、身につけていくための工夫として、RPGを模した”枠組み”を作り、「自己を理解し、他者と協働しながら課題に取り組んでいく」ストーリーの中で、協働やコミュニケーションについて学んでいくワークを採用しました。

設計において、どのような点を重要視されたのでしょうか?

和泉一般的なRPGでは、「大ボスを倒す」という目的に向かって一直線にストーリーを進めていきますよね。でも、僕らの人生はそんなに単純ではありません。「大ボスを倒す」ような感覚で、何か大きなことを成し遂げたいと考える人もいるかと思いますが、最初の街で家族と幸せに暮らしたいとか、旅すること自体が目的で、いろんなことを経験したいという人もいるはずです。

和泉「Collaboratory」では、RPGの枠組みを用いながらも、そうした人生における選択の幅の広さの要素も取り入れて、「あなたは人生をどのようにつくっていきたいですか?」や「その中でどう他者と関わっていきますか?」という問いと向き合い、考えを深めていくプログラムを構成しました。

為野「Collaboratory」ではテーマとなる「他者との協同/協働」をRPGでのパーティー編成に見立てていた点が印象的でした。また、他にも、アート思考やデザインドリブンイノベーションをプロジェクト学習の中に組み込んだプログラムの設計もご一緒しました。例えば、”what to say(何を言うべきか)”を導き出すスキルを育てたいと考えた場合、多くの人は論理的思考の育成に目を向けると思います。しかし、論理的思考ではない部分で能力を発揮する中高生も一定数います。

為野スタディツアーに参加してくれた生徒の中には、誰よりも早く膨大な量のイカを数えた生徒や、役場へのプレゼン資料作成時に黙々とイメージをイラストで表現する生徒、地域の方々との触れ合いで初対面から豊かな表情で溶け込む生徒、そして情動的な言葉で人を引き込む生徒など、論理的思考では説明がつかない魅力的なコミュニケーションスキルを持つ生徒がたくさんいました。彼らから、”何が生まれてくるかわからないけど、取り組む”という姿勢を起点とした価値創造もあるのだと気づかされました。そして、自分の中の衝動に近い感覚や解釈などから“What to say”を導き出せるようになることも重要であり、そのためにはアート思考の要素を取り入れることが有効なのではないかと考えさせられました。

自分の感覚が強いというか、社会や他者にそこまで興味が向かない高校生もいるんですよね。そういう高校生たちに、「社会課題を解決しましょう」とか「この企業に素晴らしいプランを提案してください」というような大人本位の目線で課題を出しても、議論に乗ろうとせずに離脱してしまいます。でも、「理由はうまくいえないけど、私はこれがいい」というような強い思い込みや妄想も、状況次第で良い方向に活かせると考えています。

和泉そうですね。また、そうした背景から、「Everythink」の開発では、臼井さんにも関わってもらい、アート思考を取り入れたプログラムづくりを行いました。

臼井さんは、今回設計にあたって苦労したところやこだわったポイントは何かありますか?

臼井隆志(以下、臼井)設計にあたって僕が最初に気になったのは、すでに表現したいものが生徒たちの中で定まっていることを前提としたプログラム構成になりつつあるように見えたことでした。「”何かを表現しろ”と言われても、自分が表現したいものが何かなんて、分からない人のほうが多いよな」と思ったんです。

そこで、最終的には、まず対話型鑑賞でアート作品を見て解釈するワークから始めることにしました。次に、ランダムに引かれた線や、ぐにゃっと握られた粘土を自由に解釈する。それから、Pinterestを使って、自分が好きな雰囲気を集め、それに自分と他人の両方の視点から解釈を添えていく。最後は、絵と粘土とピンタレストをまとめて解釈する...というプログラムにしました。手を動かす中で自分が表現したいことが見えてくるプロセスをつくりたかったんですよね。

臼井設計にあたって、「中高生にどんな感想を持ってもらいたいか」と話し合ったことがあったのですが、その時は「つくって楽しかった」と「自分が意外とこういうの好きなんだって分かった」の2つが挙がりました。「『“好き”がわかると“つくる”が楽しい』という感覚が素朴に体験できるようなワークになれば良いのではないか」と。素材や環境との対話や、つくることと解釈することの往復の中で、見えてくるものがあるだろうという前提のもとで組み立てていきました。

加えて、上手い・下手の評価をしないことも重視しました。安易な評価は創造性を低下させる要因になり得ます。なので、評価を外すために、鑑賞するアート作品も、誰にも上手い・下手を判断できない抽象絵画を選びました。上手い・下手ではなく、他者が何を表現しようとしたのかを探っていく。“未満”の部分に思いを馳せられるかどうか、多義的な解釈があり得ることを楽しめるかといったことが、今必要とされている21世紀型スキルには含まれるのではないかと考えました。

それまで自由に考えていい授業なんてなかったのに、「自由に解釈し発想しましょう」という問いかけが中高生の前にいきなり現れる。生徒たちにとって、いい意味で衝撃的だったと思います。

為野効果実証ではじめて「Everythink」を実施した時、生徒たちからの反応が良くて、それがめちゃくちゃ嬉しかったです。生徒の動きが変わりました。普段は口下手な高校生たちが、口を動かすのではなく、手を動かすことで自己表現の手段を得たと思いました。これが自分たちがやりたかった「勉強以外の他の軸を入れる」っていうことなのかな、と見通しが立った感じがしましたね。

園さんはいかがでしたか?

嬉しかったですね。与えられた課題に対して解決策を上手に組み立てることを得意とする生徒だけではなくて、そういうアプローチが苦手な生徒たちも自分の中から出て来るものをかたちにしていくことで輝いていました。社会に出ても、ロジカルに、デザイン的に思考することが得意な人だけではないですからね。

為野「多様性が大事」「個性が大事」などの標語は、重要だけれど形骸化しやすくもあり、今ひとつ生徒たちに響いていないように感じていました。それが、このプログラムで生徒自身が多様性の意味を体験的に感じ取ってくれたことで、意識が切り替わったように思います。
例えば、「今までにない新しい傘を創る」というお題が与えられた時には、付箋やスライド作成などのグループワークではなかなか発言ができなかった生徒たちがいました。ところがこの生徒たちは、同じお題で言葉ではなく紙粘土や材料を組み立てていくプログラムでは、誰よりも活発にワークし、プレゼンテーションでも情動的で参加者を惹きつける言葉で発表していました。そこに優劣はなく、言葉で考えるのが得意な生徒と、手を動かしながら考えるのが得意な生徒、両方の個性が発揮され、結果として生徒がお互いのよさを認められる場となりました。

社会接続を後押しするプログラム設計の要点と今後の課題

教育領域全体からみても先進的な取り組みをされているように思いますが、プログラムの社会的な意義についてはどのように考えていますか?

和泉様々な課題が複雑に絡まりあい、絶対的な正解が見つかることのほうが珍しい現代社会においては、誰かすごい人が一人で頑張るのではなく、多様な人がそれぞれの強みを認識し、活かし合いながら解決の目を探っていくことが重要だと考えています。また、こうした協同的なコラボレーションは、今回のプログラムでも大事にされている要素でもあります。

教育制度全体のアップデートに繋がるかと言われると違和感がありますね。どちらかというと、新しい教育をつくるためにやったというよりも、通信制高校の生徒たちの社会接続を後押しできる能力開発をプロトタイプしたら今回のような取り組みになったという方がしっくりきます。

全日制高校では、学校側がそこまでデザインをせずとも、部活動や文化祭実行委員、生徒会などの活動や、休み時間、放課後の中で勝手に身についていくスキルがあります。でも、ネットの高校であるN高は一般的な高校と仕様が異なるので、ネットの高校なりにそうしたスキルを身につけてもらうための機会やプログラムをデザインしていかないといけません。ただ、今回のプロジェクトも含め、これまで積み重ねてきた通信高校ならではの課題解決のノウハウやプログラムが、将来的に教育全体でも活用できるものになるかもしれない、とは思っています。

カリキュラム化するにあたり、誰でもプログラムを実践できて、一定の成果を生み出せるようにする必要があったかと思うのですが、そうした部分で意識したポイントは何かありましたか?

和泉まず、起こしたい学習の本質が何かを捉えることは重要ですよね。誰がファシリテーターであっても50分間のワークショップとして機能するために、活かすべき要素を見定め、できる限りシンプルに構成する必要がありました。

臼井本質が見えていないとできない、というのは僕も賛同します。そのうえで、「誰がファシリテーターであっても実践できるように」という点に関して言えば、例えば演劇の戯曲の賞には、誰が出演しても成立する舞台であるという要件があります。演出家や役者の個性が引き剥がされてもなお物語としての強度を持っていることが必要です。それと同じで、授業の担い手の個人的な経験があまりにもべったり表れているようだと、属人性が高すぎる。

僕はスライドを台本だと思っていて、その台本と、最低限の舞台装置としての紙とペンと粘土、そしてスライドに書かれた言葉を、いかに強度のあるものにするかを考えました。極力ニュートラルな言葉を選ぶなどある程度、どの現場でも起こりうる普遍的な出来事を想定してつくり込むことを重視しています。

園さん、為野さんはいかがでしょうか?

僕は属人性を完全に排除する必要はないし、排除することはできないと思います。受ける側からしても属人性が出ている方が面白いんじゃないかなと思います。和泉さんや臼井さんのファシリテーションについてもそうですよね。プログラムのスライド以前に、目の合わせ方とか所作とか、ノンバーバルな部分からファシリテーターの思いが伝わってくるかどうかで、ワークショップの内容は全然違ってくると思っています。
本プログラムを未来の教室の内外で展開していく中で、ファシリテーター向けの講座を実施する等、実施者たちに対するサポートシステムがあるといいなと思っています。

為野トライアルの際、僕は生徒がどこまで指示やインプットを理解して動くのかという点を主に見ていたのですが、その時に足場かけがないと、ちょっと難易度の高いのプログラムかもしれないと思いました。一方で、プログラムデザインを綿密に行い、足場かけのワークをしっかり設けるほど、つまり属人性を排除していくほど、ワークショップならではの即興による力が失われるのではないかという次の課題が見えてきました。
このプログラムを実践する誰もが意図をすぐに理解できて、自分なりに挑戦できるプログラムにしようとすると、本来大事にされていたはずの「視点を変える」や「揺さぶる」という価値自体が排除されてしまうのではないかと思います。ワークショップだからこその「違う視点で物事を見て、気づける」という価値が、精緻にデザインするほど失われてしまうのではないでしょうか。僕はそういう危機感を持っていて、高校生への学習効果を最大化するための足場かけをしっかりやることと、ワークショプが持つポテンシャルを最大限生かしきることの両立が今後の課題なのかなと思っています。

和泉前提として、ワークショップに足場かけは必要で、足場もなく崖を越えさせるようなことになれば、ほとんど誰もワークを完遂できず、崩壊してしまいます。でも、崖を全部埋めてあげたらいいものになるのかというと、そんなことはありません。ひとりだったら越えられないかもしれないけれど、チームでやったらもしかしたら一緒に飛べるかもしれない。1回目は無理でも2回目は飛べるかもしれない。基本的にはそんなふうに生徒の力を信じるスタンスが重要だと思います。その上で、「ここはさすがに足場がないといけないよね」というところにだけを適切なステップを用意して、プログラムを構成していく。そういうバランス感覚は大事なのだろうと思います。

為野そういう意味では、私自身がN中等部を担当して思うのは、生徒の課題や多様性について仮説を立て、一人ひとりの歩幅の違いを踏まえてカリキュラムを設計し運営しているものの、本当に全員の課題感を並べてみた時の全体像はまだ見えていないように思います。改めて生徒の課題をつぶさに見ていくことが大切だと実感しています。

為野ただ、先ほど和泉さんが「崖を飛び越えられるか」という喩えでお話されていましたが、極論、飛べなくてもいいのではないか、とも思っています。いくつかあるワークのうち、飛べないものがあってもよくて、できなかったらできなかったでそこから学べることもあるはずです。「できなかった」という結果をどう意味づけるかが重要で、時にはRPGの世界観の中で「それもあり」にしてしまっても良いと思います。
足場かけの話もそうですが、そのために必要な対話の姿勢が、従来の授業で去勢されてしまっているようにも感じます。もっともっと荒々しく、例えば葉っぱだけ渡して「これをモチーフに何か思いつくことがあれば、思いついた人から話してほしい」みたいな授業をやってみて、誰も発言しなくて5分間沈黙が続くヒリヒリするような感覚が得られたほうが、面白いし、学びに繋がることもあるよな、と思っています。

最後に、N高さんとして今後、ミミクリデザインとこんなコラボレーションをしていきたいなど、期待してくださっていることはありますか?

為野機能するフォーマットをつくるのと同時に、驚かせてほしいです。僕らが悩んでいるときにグッとずらしてくれるような問いや刺激を、ミミクリさんに一番期待しています。

当初構想していたプログラムづくりと実証の第一弾としては一段落したものの、まだまだ課題も多く、十分でない領域もあるので、引き続き開発にご協力いただきたいと考えています。

学力以外の価値軸を導入し、多様な生徒に、不確実で予測困難な時代を生きていく力を身につけるプログラムを提供したい。こうした角川ドワンゴ学園様の願いに応えるべく、ワークショップの可能性を最大限に引き出してプログラムの設計や監修をしました。検証の結果、一定の効果が確認できた「Collaboratory」(コラボラトリー)、「Everythink」(エブリシンク)、「MINDNAUT」(マインドノート)は現在、N中等部通学コースのカリキュラムから、N中等部ネットコース、N高等学校通学コースに広がっています。