分断した縦割り組織を繋げるのは、個人の認識変容──アドベンチャー業界の先駆者PAJにみる、「砂遊び」対話の意義とは。

  • 塙達晴

    コンサルタント

  • 猫田耳子

    ファシリテーター

  • 青山学院大学経済学部、グロービス経営大学院経営研究科卒。 新卒にて、大手自動車メーカーグループの金融会社に入社。自動車ディーラーの収益向上や財務体質の改善に向けたコンサルティング業務に従事。 その後、株式会社GLOBISに入社。人材育成のコンサルティング業務や他流試合型育成サービスのPJに参画した後、マネージャーとしてチームマネジメントや講師業を経験。 現在は、株式会社MIMIGURIにて、事業開発 / 組織開発 / 組織デザインのコンサルティング業務に従事。個人の主体性と事業が有機的に結びつく組織のあり方を探究している。

  • 好きだなあと思うひとたちの叶えたい夢や作りたい未来への力になりたいなと思っています。そんな感じでミミグリにいます。

<プロフィール(敬称略)>
小澤新也
小澤新也
代表取締役
学生時代に出会った野外活動(キャンプ)が忘れられず、そのまま野外教育の世界にのめり込む。しかし、人との関わり、自分らしさとはで悩み野外教育の世界から離れ自分と向き合うための時間を過ごす。その間に精神科デイケアでスポーツ指導という形で関わる中で、自分らしさ、人との関わりに関して気づくきっかけを見つける。その後、カヤックインストラクター、民間学童保育の立ち上げ等を経て、2005年プロジェクトアドベンチャージャパンに入社する。アドベンチャー施設の施工部門として、現場作業、営業を行いながら全国にアドベンチャー施設を導入する。2021年より取締役として経営の場を学び、2022年5月より代表取締役に就任。

伊藤歩美
伊藤歩美
アドベンチャーエデュケーション・経営企画チーム 所属
大学卒業後、新卒で働き始めるも子どもを授かり3ヶ月で退社。子どもが1歳で保育園に入園するのをきっかけに仕事復帰。金融系事務職を経て、株式会社エブリーに入社し、ファミリー向け動画のメディアでの制作管理や広告案件の制作ディレクションを担当。その後、2019年に株式会社プロジェクトアドベンチャージャパンに入社し、プログラムコーディネーターとして、企業研修や学校の体験学習プログラムの営業から企画提案を担う。2022年から、経営方針の検討や戦略を検討する経営企画チーム(旧:執行部会)を兼務。

既存の事業分野に加えて、新たな市場に進出することでシェア拡大を狙う「事業多角化」。不確実性の高まる近年において長く経営を続けるために、また組織における成長機会としても、多くの企業が事業の多角化に踏み出しています。

しかし、多角化には多くの課題も伴います。限られた経営資源をもとに、いかに事業ポートフォリオを構築するか。多角化に対応した組織設計をいかに行うか。設計した組織において、どのように人材開発を行うか。多角化経営の初期において特に顕著なこれらの課題は、各社で異なる経営戦略と組織文化に合わせた対応が必要となり、企業にとっては大きな試練にもなりえます。

「アドベンチャー」の持つ力と価値を社会に届ける、株式会社プロジェクトアドベンチャージャパン(以下、PAJ)もまた、この試練に向き合った会社の一つでした。

同社が提供するのは、自分が安心と感じられる場所から、怖さや不安を感じることに向き合い、自ら踏み出す「アドベンチャー」体験。1995年にアメリカのProject Adventure, Inc.から「プロジェクトアドベンチャー(以下、PA)」のライセンス契約後、「器の大きな人間社会の実現」をミッションに掲げ、多くの学生やビジネスパーソンへ、「アドベンチャー」を通じた学びと気づきを提供してきました。教育事業から始まった同社は、2017年にアドベンチャー体験ができるレジャー施設「PANZA」の運営を開始。レジャー事業に進出するのは初でありながら、沖縄、岐阜、大阪、埼玉と、拠点を増やし続けています。

ところが、この多角化に伴い「組織には混乱が起きていた」と、代表取締役の小澤新也さんは語ります。新規領域への進出のため行った経験者の採用活動、組織編成、そして経営体制の変更。ふと気づけば、組織内に分断が生まれ、求心力も低下してしまっていた──それが、多角化に伴いPAJが直面した課題でした。

事業の多角化に伴い、多くの企業が直面するであろうこれらの課題を、PAJはどのように乗り越えようとしているのか。その課題の発見から、対話を通じて部門間を繋ぐまでの歩みを、共に伴走したMIMIGURIと共に聞きました。

多角化の後に生じてしまった、部門間の「分断」。

PAというプログラムは、1971年にアメリカにある高校で誕生したものだそうですね。改めて、設立の経緯と事業内容をお聞かせいただけますでしょうか。

伊藤元々はイギリスで、自然の中での冒険を経験すると人間的に成長したり、その関係性が深まったりという効果があると発見した方々がいたんです。皆で航海に行ってサバイブするとか、山の崖を登るといった少し過酷な自然の中での冒険を「アドベンチャー」として、この要素を身近に取り入れた教育がアメリカの体育の授業で行われたのが始まりでした。

それを知った創業者の林 壽夫がライセンス契約をして、PAJを設立したのが成り立ちです。PAプログラムによる教育を行う「アドベンチャーエデュケーション事業」からスタートして、今はアドベンチャーコースの施工・メンテナンスなどを行う「アドベンチャークリエイション事業」や、アドベンチャー施設「PANZA」の運営を行う「アドベンチャーエンタテイメント」というように、事業が多角化しています。

PAとは、どのようなプログラム内容なのでしょうか。

伊藤「アドベンチャー体験」を学びに変える、体験学習と掛け合わせたプログラムです。私たちが考えるアドベンチャーとは、「コンフォートゾーンからストレッチゾーンに一歩踏み出してみること」です。皆で実際に航海に出るとか山に何日間もこもるとか、そういった身体的なものだけではない、心理的なストレッチもアドベンチャーであると捉えています。

伊藤ストレスを感じない居心地の良い環境や状態は、安心安全なコンフォートゾーン。その外側に、普段以上のチャレンジをするストレッチゾーンがあって、それこそが人が一番成長できる領域だと考えているんです。そのさらに外側にはパニックゾーンの領域がありますが、ここはもう未知の領域。「頭が真っ白」な状態では学びは得られにくいので、パニックゾーンまで行かないストレッチゾーンで学びをたくさん感じてもらえるような場のデザイン、体験のデザインを提供しています。

例えば、普段は人前ではあまり話さない人が、大勢の前でプレゼンする。そういうチャレンジも私たちの考えではアドベンチャーの1つです。このアドベンチャーを繰り返すと、だんだんコンフォートゾーンが広がっていきます。その広がりが「人の器が大きくなる」ということであり、人が成長していくことだと考えています。

事業の多角化はどのように進んでいったのでしょうか。

小澤日本でPAJの取り組みを広く伝えていくにあたり、教育事業だけでは不十分なところがありました。そこでアドベンチャーコースの施工事業を進めながらも、並行してレジャー分野にも進出しました。それまで学校や企業などの団体向けだったアドベンチャー体験を、より多くの方に体験していただくために、個人向けのアドベンチャーパーク「PANZA」を開業しました。それが、2017年のことです。

1995年の創業から22年、教育事業を主としてきたPAJにとって、レジャー施設の運営へと事業を多角化させていくのは、大きなチャレンジだったのではないかと思います。

小澤レジャー施設の運営は、まさにノウハウが全く無い分野でした。そこで経験者をたくさん採用したのですが、それにより「PAJの歴史を知らない」スタッフの割合が増えてしまったんです。PAJというよりは「PANZAに就職した」という感覚が強く、「PAJとは何か」と聞かれても答えられないスタッフがいる、という状況が生まれていました。

その影響はコミュニケーションにも及びました。PAJには「Full Value Contract(FVC:PAプログラムの開始前に、互いを最大限に尊重することを約束すること)」や「Challenge By Choice(CBC:自分の意思で選択し、決定すること)」などの独自用語があるのですが、それが組織の中で共通言語として機能しなくなっていったんです。

事業部が増え、経営体制も変わっていき、さらにコロナ禍が直撃したということもあって、直近の6年ほどは、正直に言って混乱の時代だったと思います。

経営体制の大きな変化として、2022年5月には代表取締役が創業者の方から小澤さんに交代されていますね。

小澤経営体制についても、ここ数年で大きな変化が度々ありました。創業者である林壽夫が代表取締役を務めていた期間が最も長いのですが、その後にもう一名の取締役と共同代表を担う時期もありました。私が代表取締役に就任した経緯は、3年前、取締役の社内公募を行っていた際に立候補したのがきっかけでした。実はその時、立候補者がゼロだったんです。これもまた、ある意味では組織の混乱を象徴するエピソードかもしれないですね。

「誰も手を挙げないのは組織としてマズい」と思い、「自分が社長を引き受ける器ではないないけれど、取締役としてであれば、一緒に経営を考えていけるかもしれない」と立候補したんです。その1年後に株主総会で推薦をいただき、代表取締役に就任した経緯になります。

「混乱の時代」の中で、どのような経営課題があったのでしょうか。

小澤組織の求心力を高めるためにも「PAJとは何か」に向き合う必要があったんです。そのために企業理念の開発などさまざまな取り組みを行ってきたのですが、なかなかうまくいかなかったんですね。そんな時に、MIMIGURIさんと出会いました。

MIMIGURIには、どのような経緯で相談したのでしょうか。

小澤初めは「コーポレートサイトを改修したい」という内容で、何社かに相談していきました。なぜかといえば、コーポレートサイト上で社外に向けて伝えたい情報をまとめることが、結果的に社内の従業員にとっての理解促進にもなるだろう、と考えていたからです。

ナベちゃん(MIMIGURI ファシリテーター 渡邉 貴大)がもともとPAJに在籍していたこともあり、「ナベちゃんもいるし、MIMIGURIさんに相談してみようか」とお声がけをしてみたのが、最初のきっかけでしたね。蓋を開けてみたら、コーポレートサイト改修ではない取り組みになっていったんですが……塙さんによる、営業トークの口車に乗せられて(笑)。

営業トーク、1回もしてないですけどね(笑)。

小澤あ、営業トークではなかったですか(笑)。でも、それがすごく良い出会いだったんです。MIMIGURIさんと共に対話の時間を持てたことによって、僕はもちろんのこと、ワークショップに参加したメンバーが「PAJとは何か」にしっくりくる感覚を抱き始めていて、少しずつ落ち着いてきた気がするんです。

コーポレートサイト改修という要件で何社かに声をかけて行った中で、結果的にはMIMIGURIにより課題が大きくリフレームされ、「理念を味わう」対話施策を実施する運びとなったわけですね。

小澤ヒアリングいただく中で、MIMIGURIさんから「事業部間が繋がっていない」「シナジーが生まれていない」というご指摘があり、確かにな、と思ったんです。当時の我々としては繋がってるという認識だったので、良い気づきをいただいたというか、「それが足りなかったんだ」とハッとしました。

要件の裏側にある「(PANZAの事業を展開したことで)各事業部への所属意識はあるが、PAJという会社に対する所属意識が薄くなっているかもしれない」という課題を伺った際に、この段階でのコーポレートブランディングはリスクがあるかもしれない、と感じたんです。会社としての概念が共通していない中で、無理に1つの言葉でコーポレートアイデンティティを規定してブランディングを進めると、各部門のメンバーに馴染まず、さらに分断を生んでしまうかもしれないな、と。なので、まずは部門ごとではなく、PAJとしての統合した概念を紡いだ上で、社内外への伝え方・表現を考えた方がよいかもしれない──というのが、最初に僕が抱いた仮説でした。

伊藤事業部間の関係について補足すると、もともと創業者の林は本当に教育事業への熱量が高く、PAJも「子どもたちが毎日楽しく学校に通える社会に」という思いから始まっているんですね。そのため「教育事業は稼げなくても良い。他の事業で稼いだ利益を教育に投資しよう」という感覚が社内になんとなく存在していたんです。

でも、今のPAJは教育事業のための会社ではない。それなのに、教育事業が中心であるかのような動きも残っていたので、そこを変えていく必要があるだろうな、と感じたのを覚えています。

「砂遊び」がもたらした、非言語の相互理解。

事業の多角化に伴い、組織の軸の持ち方も変化させていく必要があったんですね。その後、どのようなプロセスで対話施策を行ったのでしょうか。

小澤さんや執行部の皆さんにインタビューを行い、入社の経緯から事業運営・会社経営へのこだわりを伺った後に、対話施策の設計に入っていきました。

インタビューを始めてすぐに、「この会社、めっちゃ好きだ」ってなったんですよね。一人ひとりに、教育とPA、各事業部への思いがあって。こちらの目頭が熱くなるほど、深く語っていただいたんです。だからこそ、「もったいない」とも思いました。個々がこれほど熱い思いを抱いて、社会にも価値を提供しているのに、教育以外の事業部メンバーは自分達の仕事に「教育事業部に投資するためにお金を稼ぐ事業だ」という暗黙的な認知がありました。事業部の設立経緯からくるものだと推察したので、各事業部のもつ役割・意味を捉え直しをしつつ全社のコアコンセプトを探索したいなと考えました。

対話施策は、執行部を対象に別途会議室を用いた“合宿”として4日にわたって行われたとのことですが、どんなワークを設計したのでしょうか。

ワークとしては、企業理念についての対話を行った後、事業部の位置付け・シナジーの整理、そのコンセプトを体現するための事業ロードマップ策定を行う、というのが大まかな流れでした。

猫田この「理念を解釈して分かち合い、事業部を捉え直す」という取り組み自体はよくあるものなのですが、頭で考えるプロセスに限定されがちです。でも、PAJはそもそも理念や事業形態として身体性や精神性を重視しているので、「体験的な言語化」であることが重要でした。そこで、自分たちの認識をすぐに言葉で表すのではなく、まずは身体を使った造形表現のプロセスから始めています。テクスチャーの触感が楽しめる砂を用いて、「砂遊び」で事業部ごとに表現してもらうというワークにしました。

猫田このプロジェクトに限らず常々思っているのが、企業の理念を「自分たちの身をもって考えよう」としているのに、会議室で、机と模造紙と付箋だけで完結するのって、何か違和感ない? って。私たち人間は、もっと身体で感じて、自分たちで共感し合うことができるはずですよね。本当はそのプロセスが重要なのに「言葉で書いて、何か行動して終わり」ってもったいないな、と。もちろん、模造紙や付箋が悪いわけではなく、今回のプロジェクトでも使用しているのですが、その固定化されがちなプロセスを改めて問い直したいな、という思いがありました。

造形表現には、粘土や紙、絵など様々な手段があるかと思います。その中でも今回、「砂遊び」を取り入れたことのメリットはどのようなものだったのでしょうか。

伊藤「慣れていない遊び」であることが逆に良かったように思います。例えば絵であれば、上手い人とそうでない人に分かれてしまうと思うんです。でも、砂遊びは皆が慣れていないから、そもそもうまくできない。全然思ったとおりに作れない(笑)。でも、やってみると少しずつイメージに近づいていく。技量による差が生まれないのはメリットだったように思いますね。

小澤言葉で言い表そうとすると、ありきたりになって「本当に言いたいことが表せない」ということにもなりがちです。直感的に「何か形にする」というプロセスは、僕自身もすごい楽しかったですね。

猫田本当は会議室のテーブル一面に砂を敷いて、バケツやらコップやら使って、お城を作ったりする「THE・公園の砂遊び」みたいにしたかったんですけどね(笑)。さすがに片付けが大変だろうな、ということで、無しになりました。

小澤今にして思うと、全部を砂で埋めちゃうのも有りでしたね(笑)。

こうした今回の身体的な「砂遊び」により、どのような認識や解釈が表出していったのでしょうか。

小澤僕と(伊藤)歩美さんは同じチームだったんですが、特に話し合いをしていないのに、最終的な出来上がりが似ていったんですよね。ふと、隣を見たら「あれっ? 一緒だ」って。色合いとか形が、なんとなく似てるんですよ。

伊藤「PANZAってこうだよね」みたいなことを、皆がそれぞれ独り言をボソボソ呟きながら(笑) 作っていって。他のチームは話し合いながら作ってるところもありましたけど、それでもやっぱりチーム同士で似ていきました。「似るものだねえ」と、皆が不思議がってましたね。

小澤皆、こうやって事業部のことを認識して理解しているんだな、と。物理的な形になって目の前に現れると、心にすんなり入ってくるんですよね。それがめちゃくちゃ楽しかったです。

伊藤他の事業部の人から見た自分の事業部の解釈が見れたのも嬉しかったですね。「楽しいけど、大変なこともある」というのが暗い色で表現されていて、「ああ、そういう視点もあるのか」と新しい発見がありました。

非言語的なモチーフで互いの解釈を照らし合わせるというのは、まさに非日常体験だと思います。砂遊びワークを経た後は、どんな対話が行われていったのでしょうか。

伊藤「アドベンチャーってどんなふうに使ってる?」とか、「ミッションで掲げている“器”の中には何が入るんだろう」とか。そういった対話を重ねていくことで、お互いの認識がすり合っていく感覚がありましたね。

抽象度が高いがゆえに、日常の業務の中ではなかなか問いが立ちにくい領域だと思います。砂遊びで非言語的な分かち合いを行ったとしても、やはり言葉で表現することには難しさが伴いそうですね。

伊藤言葉で解釈しようとすると、それこそ抽象的な単語で大きくまとめてしまう傾向があるな、とも気づきました。社内の人間だけだと空中戦で終わってしまうこともあるんですけど、塙さんと(猫田)耳子さんが受け止めて整理してくださるのがとても助かりました。

まず付箋に一度、思考をワーッと書き出していただいて。模造紙に貼り解釈を交えながら眺めて、「人が発達する」ってどういうことなんだろう、というのを皆さんでお話しいただいたんですよね。

伊藤「人の成長にはアドベンチャーが必要なのか?」という話題になって。「やはり必要だ」という結論になったんですよね。一周回って最初と同じ答えになったとしても、確かめ合うプロセスがあることで解釈がさらに深まったように思います。

分断した縦割り組織を繋げるのは、個人の認識変容。見え始めた事業シナジーの兆しとは。

その後は、理念に基づきながらも各事業部がミッションを言語化するというワークを行っています。この、事業部の捉え直しはどのように進めていったのでしょうか。

例えば、運営事業である「PANZA」が教育事業に対して無意識に行っていることは何だろう?ということを可視化して、それぞれの事業部の位置付け、あり方について対話を行いました。その上で、各事業部のミッションを言語化し、これからの具体的なアクションを検討していく、という流れでした。

今回の対話で言語化した、各事業部のミッション。「器」や「アドベンチャー」など、組織が既に掲げている言葉を、改めて主体的に咀嚼し直しています。

伊藤事業部を捉え直して未来を描くことで「自分達の事業にはこんなに可能性があるんだ!」と気付けたんですよね。例えばPANZAであれば、個々人に来場いただくだけではなく、運営で貯めたノウハウを、施工事業部の方にいるクライアントに伝えていけるよね、とか。今のPANZAの拠点でも、もっと教育的な価値を高めていけたら、もっと多くの人に届けられるんじゃないかとか。短時間でも横断のアイデアがたくさん出てきて、事業価値の捉え直しができたのは有意義だったなと思います。

PAJはミッションに「器の大きな人間社会の実現」を掲げています。依頼当初と施策実施後を比べて、この理念の解釈は社内でどのように変化したのでしょうか。

小澤「器の大きさ」自体は、創業者の林が昔から使い続けている言葉なんです。でも、それが何なのかよくわからないまま耳にしてきたというのもあり、自分事としてはしっくりきていない、という状況でした。日常の業務から離れて、改めて「器の大きな人間社会とは何だろう」と考えるきっかけが作れたのが、今回の施策だったんです。

「よく耳にしている」という状態から、その意味を自分の中で考える機会が生まれた、というのは大きな変化だと思います。これからさらに解釈が深まっていくところだとは思いますが、一人ひとりの思いと各事業が融合して「PAJとしてどんなことができるのか」というところに改めて向かっていく段階にあると思いますね。

伊藤私たち自身の認識も変わってきています。組織構造も変化し始めていて、実は今はもう執行部は存在しないんです。メンバーが入れ替わり「経営企画チーム」へと名前が変わりました。

小澤加えて、この6月からは事業部を横断する部門も生まれました。プロジェクト開始時にMIMIGURIさんから「事業部間が分断している」という指摘があったように、これまでは横の繋がりが作りにくい状況がありました。そこで、その「きっかけづくり」を行う横断部門を立ち上げたんです。

いくら「横の繋がりを大事にしよう」と呼びかけたとしても、どうしても目の前にある部署内の業務を優先してしまうと思うんです。なので、そういった動きができるメンバーに相談して、「横に繋げる仕掛けづくり」を始めているところです。これも、今回の施策がきっかけでしたね。

世間には、それこそ「縦割り」と言われるような、事業部がいがみ合ってる会社もあったりしますよね。今回、PAJさんで起きた認識の変容が他の日本企業の中でも起こるようになると、部門間の壁が無くなったり、お互いの手を取り合う組織の作り方ができるかもしれないなと思ったりするんですよ。

猫田ご依頼いただいた当初は「うちの事業は稼ぐ事業だから」「うちの事業部が教育を担って、PAJの哲学を体現するんだ」みたいに、事業部ごとの認識がパキッと分かれてる印象だったんです。でも、何度も何度も対話を重ねていくことで、「意外とそうじゃないよね」と話し合われていったのはすごく印象的でした。

伊藤今回の対話で生まれたものを、社内の他のメンバーにも伝えていきたいな、と思っているんです。2023年6月の組織体制の変更では、横断部門の新設に加えて、今まで教育事業部にいたメンバーが、エンターテイメント事業の統括に就任しています。そういうところからも、「社内でエンターテイメント事業をもっと伸ばしていこう」という空気が伝わっていくとよいな、と思います。

猫田その異動のお話は初めて聞きました。なんだかすごく嬉しい。教育事業にとても情熱をお持ちの方でしたよね。もしかしたら今回の認識変容によって、「エンターテイメント事業にも教育の哲学を注入できるかもしれない」と気づきが生まれたのかもしれない、と思うと。結構グッと来ますね。その他にも、プロジェクトの最初と最後で振る舞いの印象が大きく変わったように思う方もいらっしゃいました。

小澤こういった対話を初めて経験するメンバーもいたので、そういう意味では大きな進展だったと思います。社内にも、自分の知らない世界があるんだと改めて気づきますからね。自分の役職に対してネガティブな発言をしていた人が、対話を重ねたあとは前向きになっていたりもしました。この4回のワークですごく変わりましたし、成長したなと思いました。

日常の業務はどうしても忙しくなりがちですし、そんな中ではなかなか見えにくいものもありますからね。未来や仕事の意味を捉え直したり、組織を俯瞰して見つめたりする中で、自分が担う意義が満たされていったのかもしれないですね。

これは日本企業あるあるだと思うんですが、一生懸命働いてきた方ほど、こだわりを強く持たれているんですよね。結果として、無意識のうちに自分の事業部・業務が相対的に価値が高いという感覚も持ってしまいがちで、他の部門の良さを見つけにくくなる、という現象もあると思うんです。でも、今回のような捉え直しをすると、視界が開けて「他の部門には他の部門の良さがある」と互いにわかりあえる。そこに、これまでその人が大事にしてきたことを“まぶす”ような取り組みができれば、さらに良い未来を作れるのかもしれないな、と思いますね。

事業部のあり方が捉え直されたことで、まさにこれから新たなシナジーが生まれようとしているんですね。最後に、これからの未来に向けてPAJがチャレンジしていきたいことをお聞かせください。

伊藤アドベンチャーを中心に置いた上で、これからは何でもやっていきたいな、と思っています。というのも、今の事業だけ続けていても「器の大きな人間社会」は実現しないだろうな、という感覚があるんです。今回、捉え直しをしたことで多角化していた事業部同士が繋がったので、今後はさらに新しい事業領域に踏み出していきたいな、と思います。

小澤PAプログラムの考え方は、とても大切だと私自身も思っています。これまでは、その良さをプログラムを通じて伝えて来たんですけど、これからはそれに限定するのではなく、アドベンチャーにまつわる自分たちの思いを伝えていける組織になれたらいいなと考えているんです。改めてPAの考え方を我々の中で一度再定義したいな、と。

すごく極端な話、PAプログラムとは全く違う考え方で何か新しいスタイルを作り上げる、というのも良いと考えていて。施工事業にしても、現在は空中の上で活動する、エアリアルやジップラインなどを作っていますが、空中だけに限らず、地面レベルでも活動できるアドベンチャー施設を作ってみても良いと思うんです。これまでの固定観念を取り払って、これまで積み上げた経験をもとに提供できる価値を生み出すことで、強みをさらに増していきたいなと。

そして、そんな我々に賛同してくれる組織や個人を巻き込み、力をお借りしながら、日本における「アドベンチャー」という業界が発展していくことを目指していきたいな、と思いますね。

(2023年6月 取材)

  • Writer

    田口友紀子