重厚な歴史を「たった100年」と呼ぶために。東急がMIMIGURIと共に向き合う、組織変革の“今”。

  • 小田裕和

    デザインリサーチャー/コンサルタント

  • 大久保潤也

    コピーライター/コンセプトプランナー/サウンドプロデューサー

  • 千葉工業大学工学部デザイン科学科卒。千葉工業大学大学院工学研究科工学専攻博士課程修了。博士(工学)。デザインにまつわる知を起点に、新たな価値を創り出すための方法論や、そのための教育や組織のあり方について研究を行っている。特定の領域の専門知よりも、横断的な複合知を扱う必要があるようなプロジェクトを得意とし、事業開発から組織開発まで、幅広い案件のコンサルテーション、ファシリテーションを担当する。主な著書に『リサーチ・ドリブン・イノベーション-「問い」を起点にアイデアを探究する』(共著・翔泳社)がある。

  • 2005年ソニーミュージックから“アナ”でデビュー。6枚のアルバムをリリース。2014年からコピーライターとしてMIMIGURI(旧DONGURI)にジョイン。クリエイティブディレクターとしてブランディングやPR案件を担当。2017年から作詞やプロデュースを手がけるアイドルグループ“lyrical school”の楽曲では2曲連続でオリコンチャート1位を獲得。2020年にはOLD.Jr名義で初のソロ作品をリリース。エンターテインメント性のある企画プランニング、ブランドコンセプトや企業のメッセージ開発に多く携わる。

<プロフィール(敬称略)>
梶浦 ゆみ
経営企画室 変革プロジェクト担当主査
東急キャピトルタワー等複合ビル開発で約10年不動産開発プロマネを経験後、二度の育児休職を取得。社内起業家育成制度事務局として約5年間数十件の新規事業案・事業立ち上げに伴走したのち、フューチャー・デザイン・ラボにて新事業分野探索プロジェクトXR、CVC事業立ち上げと共に、東急100周年に向けた組織風土改革を目指す「2050プロジェクト」を推進。2022年10月より現職。

三國 志乃
人材戦略室 EXチーム 主事
新卒でハウスメーカー系総合不動産企業へ入社し、営業、経営企画経験を経て退社。不動産×IT&IoT、物流×IT領域のスタートアップ複数社で事業開発・営業・マーケティングを担当、その後中小企業の経営者として地方企業のコンサルティング、店舗経営に携わる。2020年1月より東急㈱フューチャー・デザイン・ラボにて東急100周年に向けた組織風土改革を目指す「2050プロジェクト」、社内メディア編集長ほか社内風土に関わる業務を担当。2022年10月より人材戦略室。


100年の歴史を持つ組織が今、大きな変革に向き合おうとしています。

その歩みは、大正時代にまで遡ります。当時、日本は第一次世界大戦を契機に好景気にみまわれ、工業の発展に伴って東京市部では人口が急速に増加。合わせて東京郊外の住宅地開発が進む中で、東京郊外である現在の田園都市から東京市へのアクセスを結ぶ鉄道の建設を担うため、目黒蒲田電鉄株式会社が設立されました。1922年9月2日。それが、現在の東急株式会社および東急グループの始まりでした。

1923年には関東大震災が発生し、東京の中心部は壊滅的な被害を受けたものの、田園都市分譲地は比較的被害が少なく、宅地分譲が進んだことで田園都市事業も盛業。その後、近隣路線を次々と吸収合併し、自動車事業や百貨店業、ホテル・リゾート事業など、鉄軌道事業を基盤に様々な事業を拡大していきました。2019年には東京急行電鉄株式会社から「東急株式会社」に商号変更を実施。創立100周年となる2022年9月には、組織の変革を宣言するインナーステートメントとして「経った100年。たった100年。」が発表されました。

2023年現在、鉄軌道事業の分社化をはじめとしたグループ経営体制の高度化に取り組みながら、「次の100年」を見据えた経営計画を推進している東急。日本社会のインフラに多大な影響を与え、大正時代から続くこの重厚な歴史を、なぜ今「たった100年」と呼ぼうとするのか。同社が向き合う変革の課題とインナーステートメント開発の道のりを、共に開発を担ったMIMIGURIとともに聞きました。

不揃いな足並みでは、組織の未来は語れない。

フューチャー・デザイン・ラボは「次の100年に向けてイノベーティブな組織へと変革する」ことが掲げられた部署です。改めて、どのような部署なのでしょうか。

梶浦2022年の10月に組織体制に変更があり、現在(2022年12月取材時点)は私も三國もフューチャー・デザイン・ラボから異動となっています。なので、あくまでもプロジェクト開始当初の状況としてご説明しますね。

フューチャー・デザイン・ラボで掲げていたミッションは2つあり、1つ目が「東急の次の100年をつくる」こと、2つ目が「イノベーティブな組織に変革する」ことです。社長直属の組織で、部署や年齢・役職に関わらず新規事業を提案できる「社内起業家育成制度」や、オープンイノベーションでベンチャー企業との共創を目指す「東急アライアンスプラットフォーム」などの事業を中心としていました。「次の100年」というのは東急グループにとって壮大なビジョンでもありますが、その未来に向けては足元でも様々な風土醸成を行っていく必要があります。2つのミッションを軸として、事業創造や風土醸成を進めていた部署になります。

東急グループは、2019年9月に長期経営構想※1 を掲げています。

梶浦はい。長期経営構想は、2030年までの経営スタンスおよびエリア戦略・事業戦略などを取りまとめたものと、「東急が描く未来」を表現する「TOKYU 2050 VISION」をの2つの要素から成っています。現在とこれからの環境変化に対応するため、長期経営構想をもとにグループ経営体制の高度化に取り組み、サステナブル経営の推進を盤石なものとすることを目指しています。

東急が掲げる長期経営構想

「次の100年をつくる」というミッションがある中で、ステートメント開発に至った経緯を教えてください。

梶浦ステートメント開発は最初から想定したわけではなく、実は紆余曲折がありました。初めは長期経営構想のうち、「TOKYU 2050VISION」の東急グループの描く未来をより具体的にしていくことを考え、「未来経営への提言」を社内で集めたり、経営層を集めた合宿(終日議論)などを行ったりしていました。その取り組みを進める中で、2つの課題に突き当たったんです。

1つ目は、仕組みの問題です。この「TOKYU 2050VISION」について社内の声を集めると、認知度にばらつきがあり、印象としても「一部の有志の人が行っているものだ」という、少し他人事のようなイメージが確立し始めていることがわかったんです。このままではよくない、と思い「多くの人に情報を届けて、いろいろな人の考えを集める」対話的な仕組みが必要だと考えました。

2つ目が、社会の環境変化です。新型コロナウイルスによるパンデミックには多くの企業が影響を受けましたが、鉄軌道事業や不動産事業を中核に持つ東急グループもまた、状況が大きく変化しました。社員の心理的にも遠心力が働きやすくなってしまったんですね。

そこで今一度、対話を軸に置いて、経営から一般の社員までうまく繋いでいく仕掛けづくりを行おうと考えたんです。創立100周年となる2022年9月までにやり切ろうと思い、MIMIGURIさんとのプロジェクトが始まりました。ちょうど2021年、9月のことでしたね。

どのような経緯で、MIMIGURIに依頼したのでしょうか。

梶浦経営層合宿の対話の場を設計するにあたり、専門家の形の力を借りたいと思ったことがきっかけです。合宿自体はこれまでにも行っていて、外部パートナーの企業に協力を依頼する際には、合宿の運営ごと依頼するケースが大半でした。ところが、今回からはすべて自前で行う方針に変わって。自前といっても、その頃の運営メンバーは三國と私2人だけ。その後に増えたメンバーを含めても4、5人程度です。ファシリテーターを社内のリソースで担うとしても、「場の設計」にはやはり専門家の力が必要だと思い、SHIBUYA QWS の野村幸雄さんに相談したところ、MIMIGURIの小田さんを紹介いただいたんです。

小田もともと、MIMIGURIの前身であるミミクリデザインがSHIBUYA QWSの立ち上げに関わっていたご縁があったんですよね。僕自身、当時も現在も進行形でワークショップの支援をさせていただいているという背景もあり、名前を挙げていただいたんだと思います。とてもタイミングの良いご縁でしたね。

三國このタイミングで小田さんに出会えたことが、私たちにとって本当によかったんです。お打ち合わせを始めてすぐの段階で小田さんが、「組織を変えようとするなら、自分たちでやらないと駄目です」「だから、僕たちは前に出ません」と方針をはっきり示されたんですよね。「外から来た人がファシリテーションするなら簡単だし、一時的には意味があるかもしれない。でも、組織の中にいる人が自らが対話を回していけるようにならないと、結局組織として変わっていかないんです」と言われて。ビビッと来ました。

小田僕、そんなこと言ったかな(笑)。

三國おっしゃってましたよ(笑)。困難な道ではありますが、ごもっともだなあと。自分たちの手で変わっていけるチャンスだなとも思いました。それで、やっぱり小田さんに伴走してもらうのがいいな、って思ったのを覚えてます。

梶浦そこから1年間、経営層合宿に伴走いただいたんです。合宿の回数としては合計4回でしたね。社内の役職者がファシリテーションを担い、小田さんから2週間に一度くらいの頻度でレクチャーをしていただいて。経営層のファシリテーション経験がある人間はいなかったですし、難易度も高かったので、MIMIGURIさんが運営するオンライン学習プラットフォーム「CULTIBASE」の記事を読んだり、諸々ご指導をいただいたりして走り切った形でした。

小田この密度の対話を、これだけの少人数の運営体制で走り切ったのは、マジで恐ろしいなと思います(笑)。

三國その他にもマネージャー層向けに対話の場を設けるなどもしていたので、振り返るとすごい密度でしたね(笑)。ひとつ終わる前に、「もう次の仕込みをしなきゃ!」という感じで。

その経営層対話が、ステートメント開発にどのようにつながっていったのでしょうか。

梶浦当初は、「長期経営構想2.0」と社外に向けて打ち出せるぐらいの、リバイバルプランを作ることを目的としていました。言うならば「変革の第一歩」みたいな形でスタートしたんですね。

ただ、経営層で対話をしていく中で、「考えていることがそれぞれで全く違う」ことがわかったんです。その後に少人数分散で思いの丈を出して対話するという場も重ねていき、それぞれにある「東急グループをこんなふうに変えていきたい」という思いも共有し育っていったんですが、その方向性もいろいろだったんですね。ただ全体として「組織の文化や風土、仕組みなどを変えていきたい」というように、まなざしが社内に向いていたので、経営構想という社外に向けたものを作り出すタイミングではないな、と気づいていったんです。これから大きな変革に向けて歩んでいくためにも、小田さんにも相談しながら、「スタート地点を揃えるステートメントとしてまとめていこう」という判断に至りました。

小田そこにシフトできたのは結構大きかったんじゃないかな、と思うんですよね。一般的にもよくある話ですが、最初の目的をリフレーミングするって難しいんですよ。例えば今回なら、「経営構想を作ると掲げたからには、それをやりきらなければならない」みたいな感じになりがちなんです。だから「そもそも、これでよいんだっけ?」と問い直しがかかるのは、これまでに対話してきた成果でもあるのかもしれないですね。

歩んだ歴史を「たった100年」と呼ぶために、東急が向き合う“今”。

小田ステートメント開発の段階からコピーライターの大久保さんがアサインになりましたが、最初は確か、誰に向けてコピーを書くのかが決まりきっていないタイミングで始めてましたよね。

大久保ステートメントじゃなくて、もともとはスローガンと呼んでましたよね。最終的には、インナーステートメントという立ち位置になりましたけど。

小田既にミッションやバリューがある中で、今回開発するものがどんな位置づけになるのか、というところから考えていきましたよね。コピーとしても、わかりやすくしすぎちゃうと一人ひとりに解釈されなくなってしまうし、だからといって心に響いていないと、結局は使われない言葉になってしまうし。そのバランスが難しかったですね。

ステートメント開発において、特に大事にしようと思ったのはどんなことでしたか?

小田「言葉を考える人頼みになる」状況は避けたいなと思いました。組織が自ら大きく変わろうとしているタイミングで「後はうまいことまとめてください」という状況になるのはちょっと違うな、と。なのでクリエイティブブリーフから作り始めようともしたんですが、それも何か違うような気がして。僕らが用意したものを「合ってますか、間違ってますか」と確認するスタンスだと、“作る側任せ”の状況が生まれやすいなと思ったんです。

なので最終的には、いわゆる要件に該当するような言葉のエッセンスを抽出する段階から、東急社内の皆さんに、オンラインホワイトボードを使ってたくさん対話していただいたんです。むちゃくちゃご協力いただいてしまう形にはなりましたけど(笑)、そこで情報をたくさん集めたプロセスがあったのは最終的にも良い影響をもたらしたんじゃないかなと思います。なぜかといえば、他のプロジェクトよりも、リアクションやフィードバックの量が多かったように思えていて。大久保さんからすると、どうですかね?

大久保そうですね。僕が携わった案件史上、最もフィードバックの数が多かったプロジェクトじゃないですかね。

三國え、それは……良かったんですかね?(笑)

小田それが本当に大事なんです。良かったんですよ。

大久保めちゃめちゃありがたかったです。やっぱり、僕も含めたチーム全体で意識していたのは対話的な作り方なんです。今回ご一緒した2050プロジェクトチーム(以下、2050PJチーム)の皆さんには、例えば張り紙をして付箋で意見を集めたり、直接意見を聞いてもらったりと、社員の皆さんを巻き込んだ対話を行っていただいたんですよね。その数が、とんでもなく多かった。それを僕たちに丸投げするわけでもなく、整理した状態で共有していただきましたよね。だから僕自身としても、いろいろな意見を受け取って作り出していけた。「修正に対応する」みたいな感覚ともまた違う進み方でしたね。

小田今、オンラインホワイトボードを改めて見返してみようとURLを開いたんですけど。表示が重たすぎて見るのも大変だし、訳がわかんない状態ですよね(笑)。

対話に用いた実際のホワイトボード。オフラインとオンラインの両方で行われた対話を整理していった。

三國何がどうなってるのか、説明するのも難しい……情報量が膨大で、今もパッと見ただけじゃ何もわからないですね(笑)。

小田そんなふうにとことん向き合ってくださったことで共創関係が生まれて。それが一番大きかったんですよね。加えて言うなら、吸い上げたものを「まとめてください」と我々外部パートナーに委ねるのではなく、社内のことをよくわかっている2050PJチームが自らまとめてくださっているのが、さらに良かったように思いますね。

このように自ら積極的に手足を動かしていくのは、フューチャー・デザイン・ラボのもともとのスタンスなのでしょうか。

三國「フューチャー・デザイン・ラボの人間だけで話していても、会社全体のことは見えないよ」と梶浦がよく言うんですよね。こちらから呼びかけて集まってくれる従業員はとてもありがたいですが、それだけでは足りない。以前に行った「未来キャラバン」という活動では、手を挙げていない方を中心に「私たちの未来の話をしましょう」という場を数多く持ちました。今回のステートメント開発も、その流れで自然にヒアリングを進めていきましたね。

梶浦制作の過程で言うと、むしろ「そこまで全部受け止めて、全部を消化しようとしてくれるMIMIGURIさんがすごいな」と思いますね。私も色々なプロジェクトで企業にクリエイティブをお願いする場面がありましたけど、「自分たちの作品として作り上げる」スタンスが通常だと思うんです。もちろん、こちらの思いやフィードバックも踏まえてくださいますし、私たちもそれを期待しているのが当たり前なので。なのにMIMIGURIさんは、宿題として「〇人の声を集めてきてください」って言ってくださったりだったので、「これだけの面倒なプロセスに、全部付き合ってくれるんだ」と衝撃的でもあり、申し訳なくもあり(笑)。私たちもとことんがんばろう、という気持ちでしたね。

小田皆さん、抱えた葛藤を僕たちに“開いて”くださるじゃないですか。僕たちMIMIGURIは、葛藤を打ち明けられた瞬間に一緒に何かやりたくなる習性があるので、その時間が共有できたのがよかったなと思いますね。

梶浦2時間のミーティングで、我々の悶々とした話を聞き出してもらう、みたいなこともありましたよね(笑)。

小田その裏でMIMIGURIは「どうしよう、アジェンダの消化ができなかった」って焦ってたこともありましたよ(笑)。アジェンダどおりに進めることも必要ですけど、今回はその葛藤に寄り添い続けることが大事だったんだと思います。関係性が濃くなることで生み出せるものってあるので。……打ち上げ、楽しかったですよね(笑)。

三國楽しかったですね!(笑)。

そうして生まれたステートメントが、「経った100年。たった100年。」でした。

大久保他にも色々な案を出したんですけど、最初にこの案を出したときに、2050PJチームの皆さんがすごく感動してくれたんですよね。その後にも追加で案を出したりしたんですけど、普段の会議でも皆さんが「たった100年」って実際に使っていたのを覚えていて。最終的には「やっぱりこの案が心に残っている」と言っていただいて、「経った100年。たった100年。」に決まったんです。

三國「経った100年。たった100年」は、先人が紡いできた時間・想いに敬意を持ちつつも、それを受け継いだ現在の姿勢が表現されていると感じられて良いな、と思いました。一方で、解釈を要する言葉なので、即効性が無くてよいのか?ということは悩みました。しばらくは票が割れてたように思います。他の候補にあった、「上を見ずに先を見る」という案も私はすごく好きでしたね。

梶浦「100周年ならでは」という意味では、今しか言えないんですよね。東急が歩んできた重みのある100年を、これからの未来で「たった100年」と言えるものにしていこう、という気概がすごく良いな、と。一方で、当然、歴史を軽んじているのではないか、といったご意見も頂きました。それでも社内からの支持もこれが一番高かったので、最終的には「これからの100年を背負う人たちに向けたステートメントにしよう」という決定になったんです。

大久保お話しするなかで、この100年に対する大きなリスペクトを感じたんです。だからこそ「たった100年」だけにせず、「経った100年」と組み合わせています。事実確認ができなくて実現が叶わなかったんですけど、創業者の五島慶太さんの言葉をどこかに入れられないか、というリクエストをずっといただいていたりもして。五島さんは凄まじい経営手腕で吸収や合併を進めて、「強盗慶太」と仇名がつくほどワイルドな方だったみたいで。もし五島さんが生きていたら、東急のこれまでの歴史を「たった100年」と捉えていたかもしれない、とも思いました。

小田これから、咀嚼し続けないといけないコピーですよね。既にうまくいっている事業を続けることも大切ですし、だからと言ってそれに囚われすぎても新しい挑戦はできないし。こだわりととらわれのパラドックスとも言えますが、これからの未来を作る上ではそれが一番難しいことだと思います。

今回のプロジェクトで開発した、東急100周年ステートメントムービー「経った100年。たった100年。」これまで歩んだ歴史を振り返ると共に、未来に向けたまなざしが語られている。

変革とは、一部の人だけが頑張って変えていくことではない。

今回はステートメントと合わせて、「2つのキーワード」も開発しています。これもまた、未来を作り出す上で大切な要素になりそうですね。

小田次の100年に向けて大切な「動詞」をキーワードとして定めて、その動詞を用いた「未来を動かすサイクル」も開発しました。多種多様なロールを持つ人が集まる組織だからこそ、「誰にでも伝わりながらも、立場によって解釈が変わる」位置づけの変革のキーワードを作ろうと思ったんです。

MIMIGURIと共に開発した「2つのキーワード」。変革に必要な行動を「見る」「動く」のシンプルな動詞で整理している。

大久保順番としては、ステートメントよりも前に開発したんですよね。だからステートメント開発の時も、最初はこの動詞に関連した案も出すようにしていました。さっき三國さんが挙げていた「上を見ずに先を見る」という案も、「見る」という動詞から着想したものです。

今回開発したインナーステートメントやキーワードについて、浸透施策などは行っているんでしょうか。

梶浦はい、進めています。ステートメントを開発した後に推進体制を変更し、2050PJチーム自体は解散となり、人材戦略室に「従業員体験チーム」(以下、EXチーム)を新設しました。三國を始め2050PJチームメンバー3名に加えさらに増強されたチームとなっていて、そちらが推進主体となっています。

三國今、始めている取り組みに、部門長と部門の従業員との距離を縮める「タウンホールミーティング」というものがあるのですが、その対話の場の中で「2つのキーワード」の浸透施策を行なっています。タウンホールミーティングは、過去に個別に実施してきた例はありましたが、人材戦略室が主導して全社一斉に行うのは初の取り組みです。小田さんから教えてもらったダニエル・キムの成功循環モデル が個人的にもわかりやすいなと感じており「関係の質」を高めることの意義を、タウンホールミーティングの実施目的や概要の説明の際に引用させていただいています。

「見る」「動く」という2つのキーワードは、2022年9月の100周年決起集会で代表の髙橋和夫からも発信しているので、その言葉を部門長自身で解釈して、自分自身の言葉で伝えてください、とお願いしています。一人ひとりの思いや小さな動機が、部門全体にとってすごく大切であり、それを伝えることは会社を良くすることでもあるんだ、と。

小田このタウンホールミーティングは何がすごいって、これを全社の各部署で展開する上で、EXチームで企画して運用まで行うのではなくて、ある程度の型を作って、各部署で企画してもらうっていう余地を残す方法にしてるんですよね。多分、これは難易度が一番高いやり方のはずなんです。自分たちで全部行う方が、数は大変でしょうけど、結果的にはよっぽど簡単だと思うんです。でも、それじゃ駄目だってなってるところもすごいな、と。

僕たちはよく「即効性の問い」と「遅効性の問い」という言い方をするんですけど、それで言うとかなり遅効性が高い取り組みです。時間はかかると思うんですけど、積み重ねたら組織がすごく変わるんだろうな、と。一番大変なのが、この「変えていくんだ」っていう動きと、とはいえ「結局何が変わったのか?」を実感してもらう動きを両立していかなきゃいけないこと。今まさに皆さんが苦しまれてるところだと思うんですけど、これをどうやっていくかが、これからの一つのポイントだと思うんです。

ほとんどの企業は、その手前で止まっちゃってるケースが多いように感じるので。だからこそ、僕らも一緒にやってて応援したいなと思うんです。僕らMIMIGURIは「Cultivate the Creativity(創造性の土壌を耕す)」というミッションを掲げているので、まさにそこに繋がってくる活動なんだろうなという意味でも、そう思いますね。

変革の道のりはまだ始まったばかり、というところですね。最後に、お二人がこれから挑戦していきたいことについてお話しいただけますでしょうか。

梶浦今回お話しした100周年を節目にした活動を経て、これまでにない変革の取り組みにチャレンジしているのが、今なんです。変革プロジェクト自体は60人くらいのチームなんですけど、最近、Microsoft Teamsでこのプロジェクトに賛同してくれる人が緩く集まるチャンネルを立ち上げました。そこで、色々な人が同時多発的に仕掛けていって、みんなでそれを支え合ったり、っていうのができたらいいなと思っています。

三國私は人材戦略室に異動しましたが、取り組み自体はこれまでと変わりません。今までは手を挙げてもらって参加してもらうイベントが多かったんですが、これからは「気付いたら参加してた、ハマってた」みたいな状態を作りたいなと思ってて、こまごまとした挑戦を始めています。

例えば今、私は対話に関する4コマ漫画を描いてるんです。というのも「対話って難しいな」って日々思っていて。自分でも、社内向けに説明していてわからなくなることがあるんです(笑)。 だから、読んでるうちに対話の理解が深まるようなものにできたらいいな、って作り始めたんです。色々な動物キャラクターが出てくる群像劇のように仕立てているんですが、そこから自分に近い性格や考えを持ってるキャラクターを通じて、「対話ってこういうことなのかな」と考えるきっかけにしてもらえたらいいな、と。これは社内メディアで連載するんですが、真正面からコミュニケーションするばかりでなく、そういう「気付いたら」みたいな仕掛けを作り出しながら、仲間を増やしていけたらいいな、と思います。

梶浦変革って、一部の人だけが頑張って変えていくことではないように思っています。これまで積み重ねてきた100年がそうだったように、会社組織全体が緩やかに、でも着実に変わっていって、目の前の景色を「気づいたらここまで来ていた」と見れるようになったらいいな、と。次の100年に繋げていくバトンを持っているのは我々なので、いつか来るその日に向かって頑張っていきたいですね。

<引用文献>
※1 東急株式会社、”長期経営構想”、東急株式会社、https://www.tokyu.co.jp/ir/manage/lplan.html,2023.02.23

<参考文献>
東急株式会社、”100年の歩み”、東急株式会社、https://www.tokyu.co.jp/ayumi/、2023.02.23
五味 文彦,鳥海 靖、『もういちど読む山川日本史』(山川出版社、2009年)


  • Writer

    田口友紀子