「ファシリテーターは変化の支援者」MIMIGURIでの葛藤と移住先で見つけた新しい生き方 #冒険的キャリア Vol.3
遠又 圭佑
システムファシリテーター
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。MIMIGURIでは、イノベーションプロジェクトの責任者を務め、人・組織・社会の変容にファシリテーターとして伴走している。R&D部門や新規事業部門に出向し、ハンズオンでボトムアップ型の事業・組織づくりを推進することを得意としている。CULTIBASEでは組織学習に関するコンテンツを担当。MIMIGURIに入る以前は、日系企業再生コンサルティングファームにて、再生対象企業の事業計画策定、経営企画機能の整備、資金繰り管理等に従事していた。北海道東川町在住。
MIMIGURIは組織や経営に対する深い洞察と専門知を持つコンサルティングファームとして、さまざまなコンサルタントが在籍しています。そのバックグラウンドは多様で、企業再生コンサル、組織人事コンサル、ファシリテーター、PM、デザイナー、経営企画、人事、BizDev、法人営業などの経験を持つメンバーが活躍しています。本記事では、日系企業再生コンサルティングファームを経て、MIMIGURIのコンサルタントとして6年以上活躍する遠又圭佑さんのキャリアや志向の変容、働く上での価値観を伺いました。
遠又さんは2018年6月にMIMIGURI(当時はミミクリデザイン)に入社、前職でのコンサルティング経験を活かし初期のMIMIGURIにおいて比較的難易度の高い組織課題に向き合ってきました。その結果、年間での個人売上や顧客当たりの売上で最高記録を達成。当時は自信を持っていた一方、振り返ると傲慢さがあったと言います。この数年間、自分自身と向き合い続け「コンサルタント」というキャリアを捉え直し、プライベートでも北海道・東川町への移住など大きなライフイベントが重なりました。公私の変化を経て、今改めて考えるコンサルタントの価値や、コミュニティへの関わり方とは何でしょうか。記事の最後には、メンバーや繋がりの深い方々からのコメントも掲載。ぜひ最後までお読みください。
聞き手:二宮みさき・竹内美由紀
「個」から「チーム」での価値提供へ。コンサルタントの価値を捉え直したMIMIGURIでの6年間
──遠又さんが入社されてから6年。ayatoriでのインタビューは5年ぶりです。その間にDONGURIとミミクリデザインが合併し、MIMIGURIという組織になりました。ご自身の目線で、これまでを振り返っていただけますか。
遠又 ミミクリデザインに関わり始めた当時は、安斎さん(安斎勇樹/代表取締役Co-CEO)が全プロジェクトの責任者で、業務委託メンバーがちらほら関わっているような状況でした。法人化し社員を雇い組織化する中で、当時DONUGURIの代表だったミナベさん(ミナベトモミ/代表取締役Co-CEO)の力を借りながら、“安斎さんとそれ以外”だった組織の中でミドル層・マネージャー層を育てていきました。最初のマネージャーとして、僕と和泉さん(和泉裕之/HR・ファシリテーター)、小田さん(小田裕和/デザインストラテジスト・リサーチャー)と東南さん(東南裕美/リサーチャー)がいました。僕はマネジメントコンサルの経験があったので、事業管理や売上管理、計画設計を担当し、一方、和泉さんはファシリテーションが得意で、ピープルマネジメントや会議のファシリテーションを担当しました。気づけば10人ほどのチームになっていて、上手くいっている手応えもありました。その後、DONGURIと統合し、MIMIGURIを創業するタイミングで僕は複数のマネージャーをマネジメントする、ヘッドのようなポジションに着きました。
▼不確実性に一歩踏み込み、変化と学習を生み出す組織開発のプロセスに伴走する(メンバーインタビュー・遠又圭佑)(2019年)
約2年間役割を全うしていましたが、合併の前後で大変だったこともあり、正直に言えばあまり楽しめない時期もありまして……。結果、今から3年ほど前にその役職を降りています。僕からは田幡さん(田幡祐斤/ファシリテーター)にバトンタッチをし、現在は渡邉さん(渡邉貴大/ファシリテーション組織 組織長)に受け継がれています。
──役割を変えられる上での葛藤はありましたか。
遠又 振り返ってみれば、合併による慌ただしさもありましたが、マネジメントにあまり魅力を感じなかったことと、コンサルティングに飽きを感じ始めていたことも役職を降りた理由です。事業が拡大し組織は大きくなっていくのに、僕の立場はあまり変わらず、社員が増えても同じような課題が繰り返されているように感じていました。MIMIGURIの中で、年間の個人売上や顧客当たりの売上で最高記録をつくることができ、コンサルタントとしての仕事を十分にやり切ったという自負もありましたね。
そういった状況で徐々にエネルギーが低下していた2023年、研究開発部門を立ち上げるから来ないかという声をかけられ、これまでの経験を研究的な知見に変換する活動を始めました。
──コンサルティングについて価値観の変化があったのですね。この6年間で特に印象的だったプロジェクトや出来事があれば教えてください。
遠又 コンサルタントとしての僕の能力を全て引き出してくれたお客様と出会えたことですね。具体的には、NECソリューションイノベーター株式会社(以下、NES)様の新規事業部門を支援する案件です。
このプロジェクトがどのような経験だったのか、、僕自身の役割、クライアントとの関係性、価値を発揮した領域の、3つの観点から話せればと思います。
1つ目の「役割」では、コンサルファーム内で例えるなら、マネージャーから、複数プロジェクトをマネジメントするシニアマネージャーへと役割が変化した感覚がありました。これまでは個人のコンサルタントとしてクライアントに価値を提供している感覚でしたが、今ではチームとしてどう価値を提供できるかという視点に変わってきています。
2つ目は「クライアントとの関係性」。実践活動で成果を生み出しながら、アカデミアの研究活動にも還元することができています。コンサルタントとして組織変革のプロジェクトをクライアントと一緒に進める一方で、クライアントの方々とケース別のコンテンツを作成し、CULTIBASEで組織変革の知見を発信しました。南山大学の教授である安藤先生とパートナーを組んで共同で論文を執筆し、もう少しでリリースできる状況です。
▼経営の慣性を打ち破れ!大企業が挑む新規事業部門立ち上げの軌跡(CULTIBASE)
3つ目は、自分自身の興味関心あるドメインが明確になってきたことです。大きな既存の仕組みやストラクチャーがある中で、それらを変化させるために新規事業をどのように触媒として活用していくか、という点に興味を持ちました。自分の興味関心はイノベーションマネジメントや組織における変化のプロセスにあることがわかりましたね。
──個人からチームでの価値提供に視点が変化したのは具体的に何があったのでしょうか。
遠又 それ以前は組織の中で難易度の高い課題に取り組めるのは安斎さんか僕だろうという自負があって、チームワークよりも個人の能力を重視していたのです。今振り返ると、当時の課題への向き合い方には幼さや傲慢さがありましたね……。「仲間と一緒だからできる」という考えではなく、「自分ならできる」と思っていました。
MIMIGURIのチームの中には様々な特性を持つメンバー、クリエイティブが得意なメンバーもいれば、物事を着地させるのが得意なメンバー、管理が得意なメンバーもいます。得意を活かすことがチームプレーともいえますが、僕は、メンバーが既にうまくできることをそのまま適用するのではなくて、うまくできるかどうかわからないけど困難なことを一緒にやりたいんです。会社でも個人でも、様々な「引き出し」──例えば開けたいけど開けたらうまくいくかわからない引き出しとかを折り込みながら、プロジェクトを設計していくと楽しいのかなと。そういった思考や実践を繰り返し、チームの責任者クラスのメンバーと一緒になって、クライアントに価値を発揮するとはどういうことなのかという領域にまで踏み込めるようになりました。
通常コンサルティングはお金の対価としてサービスを提供しますが、僕たちもうまくいくかどうかわからない部分もある。むしろうまくいくかどうかわからない僕たちと一緒に思考を繰り返し進むからこそ、未知なる価値創造ができることがあるんじゃないかと思っています。
無意識に課題にソリューションを提案する違和感を経て、アントレプレナーシップを発揮するまで
──経営コンサルティング会社からMIMIGURI(当時ミミクリデザイン)に転職されたときの期待を教えてください。
遠又 当時新しい形でクライアントにアプローチできないか試行錯誤をしていて、MIMIGURIであれば実現できるのではないかと思ったからです。前職の経営コンサルティング会社では、主に事業再生の案件を担当していました。クライアントは金融機関からの紹介される形だったので、金融機関目線で追加融資ができるかどうかを基準に、事業計画を作り経営管理や経営企画を整えていきます。経営数字をミクロなレベルまで分解し、個人レベルや部署レベルで何がどういうロジックで売れたのか、あるいは下振れたのかを分析していきます。
金融機関から紹介を受けているので、「業績が下振れたときに金融機関にどう説明するか」というアカウンタビリティを担保する役割になっていました。例えば、下振れた際には「なぜ業績が下がったのですか」と聞かれ「為替の影響です」など言い訳の材料を集めるような動き方に終始してしまっていた。会議を重ねるほどにクライアントの会社が悪くなっているのではないか、もっと他のアプローチがあるのではないかという違和感があったんです。
──その違和感に気付いたきっかけは。
遠又 今思うと、その違和感は、自分の専門性やバッググラウンドを無意識にクライアントに当てはめてソリューションを提供していたことだということではないかと思います。そのアプローチが悪かったわけではないですが、当時の僕は良し悪しを判断せずにそう振る舞うことしかできなかった。今なら、必要に応じて財務管理のアプローチもクリエイティブのアプローチも使える。自覚的に出し入れできるようになったことで、その違和感は少し解消できているかもしれません。
もう一つ得られた気付きは、クライアントが動機を持っていることの重要さと、違和感です。課題解決への動機を持っているクライアントに対して解決策を提案することがコンサルタントの基本的なアプローチです。しかし、そうすると自分の意思なのかどうかわからず、最初の動機を常に相手に委ねることになる。コンサルティングプロジェクトの特性上、最初の動機をクライアントが持つのは自然なことではありますが、僕はアントレプレナー的な面がある、つまり自分自身でゼロから何かを立ち上げてみたいと思っていたんですよね。
──ご自身にアントレプレナーの面があると自覚したのは。
遠又 2023年か2024年の初め頃、ある知人から「もしかしたら、アントレプレナー的なことを試しているのかもしれないけど、コンサルタントとアントレプレナーはかなり異なるマインドセット・スキルセットが必要だから、苦労すると思うよ」と言われたことが大きかったです。それまで、無自覚に試行錯誤していたことを、言い当てられた感覚があり僕にとってはすごく新鮮でした。
ちなみに、これを言ってくれた方は僕のパートナーとも仲が良いのですが、「アントレプレナーとは、君の奥さんみたいな、言語化する前に0→1の意思決定できる人のことを言うんだよ(笑)」とも言っていました。僕のパートナーは、起業もしており一般的にアントレプレナーと呼ばれるタイプなのかもしれません。現在住んでいる北海道・東川町に東京から移住するという「0か1か」の意思決定も、彼女が主導しましたね(笑)。僕一人では踏み切れなかった意思決定だと思います。
ファシリテーターの役割は、変化という出来事への支援者。自身のアイデンティティを捉え直して気付いたこと
──MIMIGURIでの現在の肩書きは「ファシリテーター」ですが、遠又さんにとってファシリテーターはどのような役割だと考えていますか。
遠又 ファシリテーターは、変化の応援者で、特定の個人や企業を応援するだけではなく「変化という出来事自体を支援する人」だと思ってます。例えば、ある企業の新規事業の立ち上げや、組織構造や財務構造を変えるとか、そういった「変化」自体を目的とするイメージです。それらの変化は尊く難しいからこそ、その過程を支援する専門職の存在意義を感じています。
ファシリテーターが支援する変化は、一時間などの短時間だけでなく5、10年という長期間に及ぶこともありますし、ファシリテーターが用いる手法やアウトプットの形式は多岐に渡ります。変化を起こすために、どのように経験を蓄積し、資産をどう配分していくかを考える「投資家」的な面も持っているんじゃないかなと。
僕は今、東川で「ひゃくとわ」という地域内外の人々が生活を共有できる場所を運営しています。東京などの首都圏や遠方から来た方がここに一週間ほど滞在することで、家族の新しいアイデンティティを探索したり、東川のコミュニティと交流したりしています。このような活動も、「町内外の関わり方の変化を意図している」という意味で、僕はファシリテーションの一形態だと考えています。
MIMIGURIでは、組織の変化に巻き込まれるのも大変だということを知りましたし、他方で僕自身の変化も応援してもらっていると思いますね。
──MIMIGURIの案件において、変化を感じたエピソードはありますか。
遠又 NES様のプロジェクトの初期の山場を越えた後の振り返りで、田島さん(田島一生/ディレクター・プロジェクトマネージャー)に言われたことが印象に残っています。当時田島さんは、濱脇さん(濱脇賢一/コンサルタント)と仕事をすることが多く、お二人の中で成功パターンを持っていました。その時に田島さんが「僕の今のチャレンジは、濱脇さん以外とも成果を出せるようになることなんです。濱脇・田島モデルを遠又さんと再現したい」と提案してくれました。
田島さんに「遠又さんの良さはクライアントとの関係性を握れることだから、そこに集中してください。現場のデザイン(設計)は僕らに任せてもらえませんか」と言われました。それによって、クライアントとの関係性構築や合意形成が僕の仕事と気づき、新たにアイデンティティを捉え直すきっかけになりましたね。お互いがお互いのアイデンティティや技の変化に関わり合うことで、こんなにエネルギーが生まれることを知りました。
MIMIGURIで培ったファシリテーションは、地域コミュニティでも必要になる
──MIMIGURIだけでなく東川町での活動など幅広く活躍されています。これからどのようなことを行いたいですか。
遠又 ともに持続可能な社会を作っていくための取り組みに、ヒト・モノ・カネ・チエが集まる、ファンドのようなものを作りたいと構想を進めています。
東川では「ともによく生きる」や「ともによく暮らす」という価値観を大切にしながら、心身ともに豊かな人が多くいて、そのコミュニティが素敵だと思っています。ただ、このシステムの脆弱さもひしひしと感じています。「ともに生きる」が大事だったはずなのに、「こっちの方が稼げる」とか「こちらの方が経済的に豊かになれる」という理由で、大きな資本の流れに引きずられてしまう光景を最近よく目にしています。
例えば、北海道内の近隣に、半導体工場ができたりインバウンド需要でリゾート地開発が進んだりすると、一気にそちらに興味関心のベクトルが傾いてしまう。そうすると、個人レベルでも過度な経済合理性に飲み込まれて「こっちの方が得だから」「損をしたくないから」などが企業や個人の行動の動機になっていくように感じます。
そのような社会のなかで、僕が東川で感じているような、個人と個人が「ともによく働く」「ともによく生きる」ことを大切にしているコミュニティに対して、MIMIGURIが培ってきた「組織づくり」や「対話」、「ファシリテーション」の技を、抽象化して多面的に発揮できる可能性があると思っています。例えば、土地など自然由来の資産の開発・活用を、特定の個人や組織に委ねるのではなく、ともにホールドし開発するような活動をイメージしています。まず東川近郊で、安定的にリソースが集め、コミュニティの発達に寄与する、ファンドを立ち上げる構想を進めています。ファシリテーションを「変化を応援する投資家」と解釈した時、そのための「経験」をローカルコミュニティで積み重ね、振り返りを通して学習を進める触媒となるようなファンドを作っていきたいですね。
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6年の在籍で仕事においても生活においても大きく価値観が変わった遠又さん。ともに成長しあえる顧客や同僚との出会い、パートナーとともに移住をし新たなコミュニティによるアイデンティティの変容など、仕事と生活が溶け合い、探究を大切にするMIMIGURIらしい変化なのかもしれません。
さて、遠又さんの活躍や変遷を、顧客や仲間、MIMIGURIメンバーたちはどのように感じているのかメッセージをもらいました。
福井知宏さん(NECソリューションべータ イノベーションラボラトリ所長)より:
遠又さんにはいくつもの顔がありそうです。
私の部門では、組織文化の変革、新規事業チームのファシリテートなどで遠又さんとご一緒させていただいていますが、対峙する組織やプロジェクトの状況に応じて、「ロジックとパッション」が、「実益と研究」が、「スタイリッシュさと泥臭さ」が、「個人とチームMIMIGURI」がいったりきたりするのです。どの遠又さんの顔がいいかというより、そういう「ユラギ」が遠又さんの魅力ですし、その「ユラギ」を通じて、行き詰まっている問題・課題を立体的に認識できたように感じます。(遠又さんとしては悩んでいる過程なのかもしれませんが)いずれにせよ、遠又さんの融通無碍なファシリテーションは、我々の画一的になりそうな文化に対して常に新しい問いをもたらし、成長を促してくれていると感じます。
新田由憲さん(北海道・東川町 農家/養鶏家)より:
「夏の北海道に遊びに来ませんか」と誘って東川に来てもらったのが2018年の夏。その年の4月に東京での学習会で初めて会った遠又さんとその友人たち「遊びに来た」数人に我が家の農場の抱えているモヤモヤを整理してもらった。遊びに来たのに2日間ほどをみっちり私たちに付き合ってくれたのが遠又さんとのお付き合いの始まり。
当時50代半ばの私たちは養鶏、稲作、カフェを営みつつ、この先の展望を整理する必要があると感じていた。自分たちが持つ農地、山林などを社会的共通資本として現在や未来にどう活かすことができるかを整理するのに「北海道に遊びに来て」と無茶なお誘いをしたのでした。〔プロに遊びで頼むか~と突っ込みは入れないでね}
その際一緒に来た遠又さんのパートナーとその友人の「学校を作りたいんです!」という宣言が遠又さんの東川移住につながるとは誰も予想できなかった。{正直言うと私は少し期待はしていた}
その後、二地域居住のはずが完全移住になり、移住するやいなやあっという間に町の多くの人と友人になっていて、100年先まで見据えた住まい方のプロジェクトを完成させ、今はじぶんたちが暮らす町をよりよくするための構想にあれやこれやと関わっている。私はわからないが仕事もしているんだと思う。たぶん。
最初のただ働き以降も山で木を切らされたり、薪を運ばされたり、田植えをさせられたり。我が家と関わるとろくなことはないのだが懲りずに相手をしてくれる。
彼と会ってからこの先の町の姿が楽しみになってきた。私にとってはそんな人だ。
渡邉貴大さん(MIMIGURI ファシリテーション組織 組織長)より:
圭佑は自分にとって「手触りがあること」を徹底的に探究している人だと思います。ジョブチェンジをしたり、住まう場所を変えたり、いまは東川に根をおろし活動をしている。
そんな探究の道のりには彼の強い意志を感じながらも、迷いやゆらぎが同居している。それは圭佑が常に「変化」という力学の中にいるからで、そういった自分や他者の変化を繊細に感受し、そこから問いを立てあげて出来事を生み出していくことが、彼の作家性であり、僕が魅力に感じているところです。
圭佑はファシリテーター同志であり、プライベートも共にする友人です。おじいちゃんになっても、互いによりよく変化し続ける仲でありたいなと思います…!
MIMIGURIへのエントリーはこちら
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