
2026.08.26
前編:会議ゼロの会社が、社員が自ら議論する組織へ──事業承継を経て「個人戦」から「チーム戦」に変わった4年間【株式会社ハート:組織編】

塙 達晴
コンサルタント
新卒にて、トヨタグループの金融会社に入社。自動車ディーラーの収益向上や財務体質の改善に向けた、金融・財務コンサルティング業務に従事。その後、株式会社GLOBISにて、人材育成のコンサルティング業務や他流試合型育成サービスのプロジェクトに参画した後、チームマネジメントや講師業を経験。現在は、株式会社MIMIGURIにて、多角化経営 / 事業開発 / 組織再生 / 組織デザインのプロジェクト、並びにコンサルティング部門の事業長を担う。
株式会社ハートは、創業35年を超えるジェネリック農薬メーカーである。除草剤事業を主軸としながら、近年は野草茶事業を立ち上げ、第二創業期を迎えている。
MIMIGURIは2022年3月から約4年間、同社の組織変革に伴走した。相談当初のハートには、会議がひとつも存在しなかった。社員一人ひとりは優秀でありながら、それぞれが「個人戦」でバラバラに動いている組織だった。その会社が4年を経て、社員が自ら議論し、動く組織へと変わっていく。何が、その変化を可能にしたのか。
この4年間で、パーパス・ミッション・ビジョン(PMV)の策定、等級・評価・報酬制度の開発、機能別・組織構造別の会議体の設計、そして変革ロードマップに基づく次世代への事業デリゲーションまで、組織の土台が段階的に整えられていった。
一連の変革の道のりを、代表取締役の濱島啓太さん(以下、濱島)と、伴走を担当したMIMIGURIの塙 達晴(以下、塙)が振り返る。前編では組織の変化を、後編では濱島さん自身の変容を扱う。

濱島 啓太(はましま けいた) 株式会社ハート 代表取締役。東京藝術大学大学院美術研究科修了。2009年、創業者である父の後を継いで代表取締役に就任。創業35年を超えるジェネリック農薬メーカーとして除草剤事業を主軸としながら、2022年には野草茶事業を立ち上げ、第二創業期の経営を担う。

塙 達晴(ばん たつはる) 株式会社MIMIGURI コンサルティング事業長。新卒にて、トヨタグループの金融会社に入社。自動車ディーラーの収益向上や財務体質の改善に向けた、金融・財務コンサルティング業務に従事。その後、株式会社GLOBISにて、人材育成のコンサルティング業務や他流試合型育成サービスのプロジェクトに参画した後、チームマネジメントや講師業を経験。現在は、株式会社MIMIGURIにてコンサルティング部門の事業長を担う。2022年3月より約4年間、株式会社ハートの組織変革プロジェクトに伴走。PMVの再構築から人事制度・会議体の設計、次世代への事業承継までを一貫して支援した。
複数の課題が同時に噴き出す——何から手をつけるか
ハートがMIMIGURIに相談したのは2022年。複数のコンサルティングファームを比較したうえでの依頼だった。プロジェクトは、ヒアリングによる課題の構造化と全体設計から始まった。
塙:最初にご相談をいただいた頃、濱島さんが抱えられていた課題を改めてお伺いさせてください。
濱島:平均年齢も高く、次の世代への承継を考えなければならない時期でした。組織文化の観点でも、採用を進めようとしていた。ただ端的にいえば、「人」が定着してくれなかったことが一番の課題認識です。
会議はひとつもなく、報連相もない。全員が「個人戦」で業務をしていて、バラバラに動いていました。マネジメントを担う役職者も、営業力などの要素で決まっていて、役職者に何を期待するのかは定義できていませんでした。
要は、組織としてマネジメントをしきれていなかったんだと思います。結果として、採用しても定着しない。いかに社員のみなさんが働きつづけられる会社をつくれるか。それが一番の課題でした。
業務の構造も、部署を超えた協力体制になっていませんでした。評価制度がなく、動機づけの仕組みもなかった。「自分の仕事」以外は誰も手を出そうとしない、受動的な文化になっていた。
次世代承継の話から、採用の話、文化や制度の話が芋蔓的に、ばらばらとでてきていた、というのが当時の課題認識でしたね。
塙:組織の課題と同時に、事業の推進観点と、経営者としての難しさも抱えておられましたね。
濱島:既存事業では売り上げは安定していましたが、仕入れのリスクを感じていたこともあり、新規事業をつくることも検討していました。でも、いまの組織のままで新しい事業を立ち上げられるのか。私には理想としたい組織のイメージがあったのですが、現実はそこからかけ離れていた。加えて、人同士の関係のエラーに向き合う場面が多かったのですが、これは外部にも内部にも相談しにくく、個人でどうすべきかを抱えていた論点です。私は経営を体系的に学んだことがなく、自分の考えの何が正しくて何が間違っているのか、わからないまま手探りで進めていました。目の前に違和感のあることが散在している状態だったんです。
塙:そこから、5〜6社のコンサルティングファームの話を聞かれたと伺いました。MIMIGURIに決めた理由は何だったのでしょう。
濱島:シンプルに言えば、言っていることが「芯を食っていた」からです。他のコンサルタントの方々も、それぞれ技術的なノウハウを持っています。ただ、私たちが抱えていたのは、さまざまな課題が同時に生じている状況でした。一つひとつの課題に個別の方法論で対応するだけでは、根本的な解決にはならないと感じていた。人や組織のあり方まで含めてアプローチできるのはMIMIGURIさんだと思い、お願いしたいと考えました。
塙:最初に行ったのも、施策の提案ではなく、その「散在していた違和感」の構造化でしたよね。濱島さんとの対話と社員へのヒアリングを重ねて課題同士のつながりを見立て、全体設計を描いてから着手の順番を決める。この入り方が、そのまま4年間の伴走の流れになりました。

判断の「軸」がない——思想を言語化し、PMVを組織の背骨にする
伴走は2022年前半、社員インタビューとパーパス・ミッション・ビジョン(PMV)の再構築から始まった。策定されたPMVは全社員が参加する場で展開された。
塙:最初に着手したのは、PMVの整理でした。軸がないままでは、採用をするにしても人材要件が定めにくい。どんな制度をつくっても何を基準に運用するのかが定まらない。すべての施策の判断基準になるものを、最初につくろうという話になりました。
濱島:会社としての思想がなかったわけではないんです。「ハートは社員を幸せにするための会社だ」という考えは、代表を務める中で以前から持っていました。ただ、社内では発信できていなかった。個人主義で売上が第一という考えが浸透していて、それが当時の会社の軸になっていた。だから社員から見れば「いい人だけど、何を考えているんだろう?」という状態でした。経営判断の物差しも共有しきれてはいませんでした。
塙:そこで私たちは、まず、役員に向けたインタビューをした上で、対話のセッションを重ねてPMVを言葉にし、全社員が参加する場で展開するところまでを最初の取り組みとしました。対話の中で経営陣の足場になったのが、「人の暮らしやすさ」と「ありのままの自然」の間の中庸を大切にする、という思想です。身近な人の幸せが社会の幸福につながる——このキーワードに、濱島さんが長年持っていた考えが結晶していきました。

濱島:成果として一番大きかったのは、その後の経営体制や組織体制への動きが、PMVを起点に一気に進んだことです。事業と組織の目指す方向が明確になった。それまで個別に発信していた施策だけを見ると「濱島さんの話はコロコロ変わっている」ように受け取られかねなかった。でも「変わらない軸」としてPMVがあり、「変わるもの」を安心して変えられるのが施策なんだ、と伝えられる構造ができていきました。私自身の中でも整理がついて、コミュニケーションをとりやすくなったと感じています。
塙:印象的だったのは、この言葉です。「草の手入れができずに病原菌の温床になってしまう方がいたり、人が住めなくなってしまうのは避けたい。でも、自分たちは草を枯らしたいわけじゃない。草と人とが共存・共生できることをしていきたい」。
結果としてPMVの対話から、野草茶事業の買収・立ち上げの意思決定にもつながりましたし、採用時での会社説明や、のちの人事制度の設計方針にもなりました。ポイントは、新しい理念を「作文」しなかったことだと思います。濱島さんが経営の中で育んできた思想を、そのまま言葉にした。組織論では、人は意味を共有できてはじめて行為できると言われます。外から与えた言葉ではなく、経営者の内側から出てきた言葉だったから、社内にも、採用候補者のような社外の方にも届いた。

向き合いづらい「人の問題」に、対話で線を引く
人間関係に起因する組織課題への対応は、2022年から伴走期間を通じて継続した。個別の1on1や2on2、ミーティングでの対話の場が設けられ、採用の伴走を経て、2024年秋から2025年にかけてマネジメント層の入れ替わりが起きた。
濱島:人同士の関係のエラーは、外部に持ち出しづらい論点です。その人の今後やキャリアを考えたい。もちろん人を否定したいわけでもない。でも、組織としての線引きをしなければならない。その判断を経営者が一人でするのは、孤独が付きまといます。
塙:この課題に対する取り組みは、研修やルールの導入ではなく、対話の場の設計でした。当事者との個別1on1、関係性を扱う2on2を重ねながら、一人ひとりの見立てと、組織としての線引きを濱島さんと一緒に考え続けました。並行して採用にも伴走し、マネジメント層を担える人材の入り口を整えました。
濱島:塙さんにメンバーや経営陣とのコミュニケーションの中に直接入ってもらって、ファシリテーションを適宜行っていただきました。「自分がハートの経営リーダーだったら、こう思います」と率直に指摘をもらえたおかげで、判断を急がず、いったん立ち止まって考え直せた場面が何度もありました。そうした客観的な視点での助言があったからこそ、いまの状態までたどり着けたのだと思います。
塙:成果は、2024年秋から2025年にかけて表れましたね。
濱島:組織を取り巻く状況が変化する中で、社員の退職も重なり、これまでのマネジメント体制を見直し、次の体制へ移行する必要が生まれました。そのタイミングで、新しい体制づくりを進められたことは大きかったと思います。評価制度の伴走をしていただく中でマネジメントの人材要件がクリアになっていたこと、組織体制や組織図を一緒に作っていく中でマネジメントの候補者を立てられたこと、その候補者にも経営会議に入ってもらい事業について話すなど、サクセッションを始められたこと。こういった様々な取り組みを通して、マネジメント体制をつくっていくことができました。
そして改めて分かったのは、個々のメンバーのポテンシャルは決して低くないということです。蓋をされていただけだった。蓋をしていた組織をつくり直していくことで解放されて、それが文化につながるきっかけになりました。
塙:大切にしていたのは、人間関係の課題を、正解のある「技術的問題」だけではなく、当事者のものの捉え方の変容を要する「適応課題」として扱うことです。人間関係の課題は感情が伴うものも多く、避けられがちです。この領域に、成人発達理論などのバックボーンから人の見立てを豊かにして踏み込む。誰かを裁くのではなく構造を省みること。そして、人の問題に終わらせず、経営判断まで踏み込んで考えていく。経営者個人が孤独に悩みやすい領域だからこそ、私たち自身も経営陣の一員というアイデンティティを持って一緒に考える必要があると感じています。
技術力でしか見られない——成長を見られる評価制度へ
等級・評価・報酬制度の設計は2023年下半期にたたき案の作成から始まり、2026年に全社への展開と運用が開始された。
塙:PMVで軸が定まると、次に問われるのは「その軸に沿って、人をどう見るか」です。それまでのハートでは、人の判断は感覚や個別の事情で処理されていて、個人個人の状態を見ていく軸は技術力の一軸しかなかったとおっしゃっていましたね。
濱島:そもそも評価制度そのものがなく、動機づけの仕組みがありませんでした。技術的に優れた人がマネジメントにつく構造で、昇格や処遇の判断根拠は属人的かつその場での判断となっていました。
制度をつくって大きかったのは、誰がどんな現在地にいて、どんなポテンシャルを秘めているのかが見えるようになったことです。一人ひとりのキャリアステップのストーリーを想像しやすくなった。そして「技術は高いが、組織への影響という観点ではグレードが下がる」という人を、根拠を持って語れるようになりました。「なぜこの人を上げるとまずいのか」が説明できる。
塙:文化面の影響もあったとお話しいただいてましたね。
濱島:人と組織へのインパクトも評価に入ることで、「個人としてどれだけできるか」だけでなく「組織にどう関わるか」が、社内で語られる言葉になっていきました。ほとんどの企業は、事業寄りの話に終始すると思うんです。でもハートでは、同じくらいのボリュームで、人と組織への影響を見る制度になった。ここがMIMIGURIと設計した制度ならではだと感じています。

塙:副産物として、次のハートを担うマネジメント人材が少ないという課題認識にもつながり、育成という次の論点が立ち上がりました。制度は人を管理する道具ではなく、リフレクションを行う際のきっかけづくりや、一人ひとりのキャリアや成長軌道を見立てるためのツールであると考えています。制度と人材育成を統合する発達指向型組織(DDO)の考え方とも重なるアプローチです。
会議がゼロの会社に、対話の構造で「チーム」をつくる
会議体の設計は2023年の営業強化会議の立ち上げから始まり、2025年には役員会議を含む各種会議体と、経営企画会議のルーティンが確立された。濱島さんは2023年にMIMIGURIが当時開講していたオンライン学習プログラムの受講を機に、自らファシリテーションを担った。
濱島:もともとハートには、会議がひとつもありませんでした。個人主義の結果です。報連相もなかった。技術的に優れた人が上位にいて、困ったらその人に聞けばよかった。ただ、その人がいなくなったとき、業務が宙ぶらりんになる。属人的な構造が課題でした。
そこで、2023年の営業強化会議を皮切りに、機能別・組織構造別に会議体をゼロから段階的に立ち上げていきました。情報共有だけではなく、チームとしての連携をしていきたかったからです。全員参加型の場を通じて「個」の視点から「チーム」の視点をもつことを場に促していきました。
塙:最初は濱島さんご自身にファシリテーターとして場を回していただく設計になっていましたね。同じ年に、濱島さんが弊社で当時提供していたオンライン学習プログラムを受講され、そこでの学びも踏まえてご自身でファシリテーションのボールを持たれたのも大きな転換でした。
濱島:最初は私がファシリテーションを担って、徐々に手を離していきました。成果として、いまはメンバーが独自にミーティングを開くようになっています。私がいなくても議論が回る場面が出てきました。2025年には経営の会議体も整い、経営マネジメントのルーティンができました。
塙:一方で、難しさもありましたよね。
濱島:社員は100%転職組で、各自が前職の経験から自分の進め方を持っている。「ハートのやり方」がない中で進めるので、様子見が多かった。会議の質を上げるには、ミドルマネジメントを担う人材が必要で、そこはいまも途上です。
塙:MIMIGURIの関わり方は、会議体の構造を一緒につくっていったことでした。濱島さんやハートの皆さんが自分たちで回していくことも見据えて、経営者の濱島さん自身がファシリテーターとして場を回し、その能力や文化が組織に残っていくことに意味を感じています。
ミドルマネジメントの空洞化を越え、組織の重心を次の世代へ
サクセッションの構想は2023年下半期に始まり、2024年に変革ロードマップが策定された。2026年には3カ年ロードマップの策定、評価制度の運用開始、除草剤事業の次世代へのデリゲーションが始まっている。
濱島:制度をつくったことで見えた課題が、ミドルマネジメントの空洞化でした。特に、これまでの経験も踏まえて、経営マネジメントを担う人材候補となると慎重になります。そのためにも、ミドルマネジメントを担う人材の拡充や、そこからの育成を通じないと、次の世代に組織を渡せないなという危機感もあります。
塙:濱島さんがオーナーシップを持っていく中で組織の重心は上がった。次の問いは、その重心を次世代が維持・発展できる体制をどうつくるか。2024年に変革ロードマップで中長期を整理し、2026年には3カ年ロードマップの策定や組織図の変遷イメージを策定し、事業のデリゲーションを開始しています。

濱島:5年後をめどに、事業をまるごと任せられる形を目指しています。育成の方針は、正解を先に言わないこと。とにかく経験をしてもらって、成長スピードを高めていく。半期に一回の1on1を評価制度と連動させて、人の成長の場として機能させ始めています。
塙:振り返りの場である1on1と、評価制度が連動する仕組みが動き出しました。ただ、人の考えや変容は、意図して起こせるものではない面も大きい。かといって遠慮しすぎると、成長が疎かになる。
この矛盾は解消するものではなく、併存させながら進めるものだと考えています。組織論ではパラドックス・マネジメントと呼ばれる考え方です。5カ年の構想を持ちながら、同時に委ねる。この矛盾をどちらかの論点に矮小化せずに扱っていくのは、MIMIGURIの特徴の一つかもしれません。
濱島:4年前と今とでは、組織の空気も景色も変わりました。ここからの2〜3年でさらに雰囲気は変わるはずです。そこからもう一段上がった景色を見せられたら、大きな権限を委譲できると思っています。
会議ゼロの会社が、自ら議論する組織になった4年間
2022年に会議がひとつも存在しなかったハートでは、現在、経営企画会議をはじめとする会議体が運用され、メンバーが自発的にミーティングを開いている。2026年には3カ年ロードマップが策定され、評価制度の運用と、次世代への事業デリゲーションが始まっている。PMV・人事制度・会議体という施策は個別に納品されたのではなく、4年間の伴走の中で互いに連結しながら積み上げられた。
濱島さんは4年間をこう振り返る。
『内向きの課題ばかりだった組織が、社会に向かってワンチームで立っている実感を、少しずつ持てるようになってきました。理想の組織像にはまだ至っていません。でも、「ハートでは実現は難しいのでは」という前提が、「少しずつできる」に変わってきた4年間でした。』
後編では、この組織変革と並行して起きていた、濱島さん自身の経営者としての変容を追う。
後編:聞き上手だった二代目が、自分の意思で決める経営者へ──事業承継を経て「経営のボールを自分が持つ」と決めた4年間【株式会社ハート:経営者編】
※本事例は株式会社ハート様の承諾を得て公開しています。
コンサルティング事業長
塙 達晴
創造的な組織と事業を創りだします
共に探究する仲間を募集しています





